世界が注目した「戦争宣言」は登場せず

ロシアのプーチン大統領が5月9日の対独戦勝式典で行った演説は、ウクライナ侵攻を正当化し、攻撃継続を表明したが、「戦争宣言」や「東部2州併合」には触れず、新味はなかった。戦況はウクライナ軍が東部一帯で反撃するなど、クレムリンが手詰まり状態にあることを示唆した形だ。

第二次世界大戦の犠牲になった人々の肖像画を掲げ、対ドイツ戦勝式典に出席するプーチン大統領=5月9日、モスクワ
写真=EPA/時事通信フォト
第二次世界大戦の犠牲になった人々の肖像画を掲げ、対ドイツ戦勝式典に出席するプーチン大統領=5月9日、モスクワ

戦闘がさらに泥沼化し、長期化するなら、ロシア国内で厭戦気分が生まれる可能性がある。新機軸のなかった演説を受けた今後の焦点の一つは、政権を支えるエリート層の動向だろう。

怪死が相次ぐのは「政権の終わり」の兆候?

ロシアでは、長期政権が終わりに近づく頃、謎めいた事件が起きるジンクスがある。

300年に及んだ帝政ロシア・ロマノフ王朝末期、謎の怪僧ラスプーチンが皇帝一家に取り込み、皇帝を動かして国政を左右したが、1916年に貴族らに殺害され、翌年帝政が倒された。

30年近く続いたスターリン時代末期にも、ユダヤ人医師多数がソ連指導者暗殺を企てたとして逮捕される不可解な医師団陰謀事件が発生、新たな粛清かと恐怖を呼んだ。

18年続いたブレジネフ時代末期にも、ブレジネフの長女が関係するサーカス団幹部の汚職事件や、それに絡む旧ソ連国家保安委員会(KGB)ナンバー2の怪死が起きた。

ソ連邦が解体した1991年にも、内相や元参謀総長の自殺、共産党の財務部門担当者3人の怪死があった。

これらはいずれも、ロシアのエリート層を動揺させ、時代の終わりを印象付けた。ロシアの歴史を動かすのは、昔も今も庶民ではなくエリートだ。

現在のロシアでは、ウクライナ侵攻と並行して、オリガルヒ(新興財閥)や政府高官の不審死が頻発している。5月初めまでに8人が死亡。警察はいずれも自殺とみているが、不可解な点も目立つ。エリートの連続怪死は、22年に及ぶプーチン長期政権が「晩年」に入ったことを示唆しているのだろうか。