「また買えばいい」という気持ちが人間関係にもつながる
状況に合わせて賢く使い分けることも必要でしょうが、自分の持つモノにこだわりを持つこと、愛着を持つことを決して忘れてはいけないと思うのです。
おもしろいもので、自分の道具や自分の持ち物の扱い方やこだわりは、人との向き合い方にも表れてくるもの。モノを大切にできる人は、人も大切にできる人。人への関わり方もていねいで、気遣いや気配りができる人です。
さらに、環境問題に配慮ができる人でもあります。逆にモノを大切にできない人は、人も大切にできません。モノに対して最初から「壊れても替えが利く」と考えて雑に扱う人は、人への接し方も対応もどこかしら雑になってしまいがちです。
道具やモノを大事にしているか、モノをどう扱うか、その態度や姿勢は常に周囲から見られていると心得ましょう。仕事道具や持ち物を大事に使っていますか? 何かあったら「また買えばいい」と雑に扱っていませんか?
愛着を持ってモノを大事に使い続ける、そんな「物持ちのよさ」もまた、その人の人柄や評価につながっていくのですね。
哀川翔が決めた「家族の恐怖のルール」
いつだったか、お店の女の子に、俳優の哀川翔さんがテレビで話していた「家族の恐怖のルール」がおもしろかったという話を聞きました。
そのルールとは、「トイレットペーパーを最後まで使って補充しなかったら半殺し」「落ちているゴミを跨またいだら半殺し」というもの。哀川さんらしいとはいえ“半殺し”とは穏やかではありませんが、ルールそのものについては「なるほど」と思わされたものです。
その話を聞いて、「立つ鳥跡を濁さず」ということわざが心に浮かびました。その場の水を濁らせず、澄んだままにして飛び立つ水鳥のように、人も「その場を立ち去るときは、見苦しくないようにきれいに始末をしなさい」という教えです。
この言葉は、転職や退職の際には身ぎれいに円満に辞めるべきという「引き際の美しさ」の例えに使われることが多いのですが、意味するところはそれだけではない、と私は思っています。
「立つ鳥跡を濁さず」とは、今いる場所(とくに公共の場)から立ち去るときは、「後から来る人」や「次に使う人」のことを考え、その人の気持ちを慮って行動しなさい、という教えでもあると思うのです。
でも残念ながら世の中にはそのことに考えが及ばず、「跡を濁しっ放し」で平気な人が少なくありません。オフィスでも、コピー機で拡大コピーを取ったら、標準設定に戻さずそのままにしっ放し。
コピー用紙がなくなっても補充せず、そのままにしっ放し。シュレッダーのゴミがいっぱいになっても、そのままにしっ放し。会議室を使ってイスやデスクを動かしても、元に戻さずそのままにしっ放し。
何でもかんでも「そのままにしっ放し」で、その後に使う人のことを考えない。こういう配慮や気遣いの意識に欠けている人は、十中八九、いい仕事ができません。