※本稿は、野地秩嘉『京味物語』(光文社)の一部を再編集したものです。
当時は珍しい「カウンター割烹」の店
東京に出てきた一九六七年頃でさえ、カウンター割烹は今ほど多くはありませんでした。和食を食べると言えば、座敷であり、仲居さんが調理場から料理を運んでくるのが当たり前でした。開店してすぐの頃でした。年配のお客さまがやってきて、カウンターしかないのかと不満そうに言われたことがあります。
「オレは止まり木は苦手なんだ。ニワトリじゃあるまいし、めしくらい座敷で座って食いたい」
当時はカウンター割烹とは言わず、腰かけ料理などと言っていました。カウンターで食べることに抵抗のある方が大勢いらっしゃったのです。
もっとも料理人だって、お客さまが見ている前で包丁を持つことは慣れるまで緊張の連続でした。うちの親父は最後までカウンター仕事を嫌がっていましたから。人に自分の仕事を見せないのが当たり前という時代の人だったんです。
先輩に教わった「カウンターでしてはいけない話題」
カウンター割烹のもてなしで大切なことは、おしゃべりのうまさではありません。若い頃、先輩から「カウンターで政治と宗教の話はするな」と言われたことがあります。自分から政治の話をしなくともいいけれど、あまりにも無関心というわけにはいきません。カウンターに立つ以上、常識的なことは知っておかなくてはなりません。お客さまに楽しく過ごしていただくには、料理以外にも勉強しなくてはならないことがたくさんあるのです。
私はカウンターに立つ料理人がやらなくてはならないのは、お客さまの様子に気を配ることだと思うのです。箸の進み具合を見ながら、料理をサービスする。馴染みの方の場合はやりやすい。好き嫌いや食事のテンポもあらかたわかっていますから。
しかし、初めてのお客さまの場合はお好みがわかりません。ですから、召し上がる様子を見ながら、時には献立をさっと切り替えることもあります。年配のご婦人でしたら、刺身を小さめに切るなどのくふうも要りますし、体調が優れないと聞けば雑炊を作ることだってあります。カウンター割烹ならではの小回りのきいたサービスです。