包丁の前に目で切る
そして、魚がいい状態になったら、次は「切れる包丁」が大事だとも。
世の中に包丁はいくらでもありますが、本当に切れる包丁でなければ味は表現できないと言うのです。まず、その包丁自体が、目指す料理の味にふさわしいだけのグレードなのか。そして、その包丁はきちんと研がれていることも重要でした。
最高の状態の素材、次に切れる包丁、最後に必要なのは「切る技術」となります。技術が追いついていなければ、どんなに切れる包丁を使っても切れません。
持ち方、構え方、そして向こうから手前に引っ張って切るのにも、極意があり、ただ「こうすれば切れる」というわけではありません。
では、その「極意」とは何かというと、青柳の御主人の教えを私が理解するには「目で切り、包丁で切り、技術で切る」ということです。
造りを切るには、まず包丁を魚に当ててから切るのではなく、包丁は魚に当たる前から既に助走を付けて走っていなければいけなく、よって包丁が魚を切る前に目で魚を切っていなければいけません。
最も神経を集中させる料理はお造り
そして、切れる包丁で魚を切り、同時に自分の思う形に切る技術が必要だということです。これが大きく味に関係します。
魚をまな板に置き、柳刃包丁で向こう側から手前に引くだけの単純な作業ですが、魚の繊維を感じながら細胞を壊さないように包丁を引く。
お造りという料理は、私にとって最も神経を集中させる究極の料理です。
話は少し変わりますが、日本料理を海外の料理と比べた場合、おそらく日本料理の職人と西洋料理の職人とでは目指すところも大きく違うのだと思います。
西洋料理の多くは「切る」ことに対しても、合理性の方が先で、昔は魚などもキッチンバサミで捌いていました。
西洋料理でこだわらなければいけないのは、肉の火入れやおいしいソース作りといったことで、料理が違えば、こだわるところも大きく違うということです。
ちなみに、30年前は「いつまでも切れ味などと言っていたら日本料理は進歩しない」という風潮でしたが、最近は、外国人のシェフが日本の寿司や和食店のカウンターで職人さんの包丁さばきを見て、「すごい」と言うのです。
日本でお土産に和包丁を買っていくシェフも多いと聞きます。
世界中の料理が、切れる和包丁を使って「切る」ということにこだわり始めたら今よりももっと発展していくのだと思います。
私は「切って味が変わる」、このことを永遠に追求していきたいと思います。