「人権はないに等しいですね」
自分を守るため、取材を拒否するのも一つの手段である。なぜ取材に応じるのか。
「お姉ちゃんが亡くなった件に対しては取材拒否とか、そんな都合の良いようにできない。何とかして、お母さんがやっていないと伝えたいんです。再審請求を認めてほしいですから」
逆にいえば、この不幸な事件によって加害者家族という位置付けが、より明確化したとも付け加えた。
「人権はないに等しいですね。お姉ちゃんが亡くなって、警察からまだ連絡も来てない状況で(マスコミが)殺到した。喪中だろうが、身内の死の当日だろうが、お構いなしなので。初めてある種の覚悟をしなきゃいけないと思ったんです。犯罪者の身内というのはこういう状況なんだと、改めて考えさせられた。いくら人権を主張したところで、この問題は一生ついて来るんだろうって」
最近になって、カレー事件当時中3だった長女の数学ノートが見つかった。自室の窓から見た光景が書き殴られている。
家庭ゴミを出すとマスコミがすぐ開けてしまう
メディアスクラムの異質さが伝わってくる。「今考えると異常な空間だった」と浩次さんも漏らす。和歌山市の閑静な住宅街にあった林家の自宅。その周りを報道陣約200名が取り囲んで約2カ月間居座った。「マスコミの暴走」を問われる契機にもなったこの事件。過熱した当時の記者もオフレコで「弁解の余地がない」と口をそろえる。浩次さんもその記憶が残っている。
「学校にも習い事にも行けなくなった。家庭ゴミを出すとマスコミがすぐに開けてしまうので、警察に通報。その繰り返しです。最近、テレビ局の取材で当時の映像を見たら、長女がカメラから執拗に追い回されていました。僕も同じことをされたけど、長女はその当時思春期。多分めちゃくちゃ怖かったんだろうと思う」
実は最高裁で母親に死刑判決が下される2009年5月まで、浩次さんとともに長女も積極的に集会で無実を訴えていたという。
父親の健治さんがこう振り返る。
「(出所してから)毎週金曜日に晩御飯の段取りをして、4人の子どもたちがうちにご飯食べに来るのが楽しみやった。いつも材料を昼間に買ってきて、それを子どもたちも楽しみにしとって。晩御飯の後はみんなでカラオケにも行ったなあ」