そして、続けた。「私が責任を持ちます。結果が出なければ私も一緒にやめます」。
じつは、球団関係者は必ずしも私の監督就任に賛成していたわけではなかったそうだ。実際、5位に終わった1年目のオフには、相馬さんは役員から吊るし上げをくったという。
それでも相馬さんは私を信頼し、まかせてくれた。おかげで私は強化に専念でき、3年目にリーグ優勝、4年目に日本一という花を咲かせることができたのである。
責任を他人に押しつけて平気な責任者たち
相馬さんから私は、リーダーにもっとも必要な条件をあらためて教えられた気がする。「部下を信頼し、責任は自分がとる」、そういう度量である。
「責任者」は、「責任をとる」からそう呼ばれるのだ。しかるに、責任をとらないばかりか、他人に押しつけて平気でいる「責任者」がどれほど多いことか。
現役時代、キャッチャーだった私はいつも思っていた。
「抑えたらピッチャーの手柄。打たれたらおれの責任」
たとえピッチャーが要求とは違うところに投げて打たれたとしても、サインに首を振って投げたい球を投げて痛打されたとしても、責任はすべて自分にあると考えていた。ベンチに帰って監督にどやされても、弁解はいっさいしなかった。
「責任はおれが持つ」
自分が監督になってからも、しっかり準備したうえでの失敗なら選手を責めることはなかったし、たとえそれで負けても選手のせいにしたことはないつもりだ。
その選手を起用したのは私である。ならば、彼を信頼し、まかせるべきであり、結果がどうあれ、その責任は自分が負うべきだと考えていた。それが、現場の責任者である監督の「責任」だからである。