若く、経験や実績のないピッチャーには、勝ち星がなによりの自信になる。スランプに苦しんでいる選手もそうだし、他球団を解雇されてやって来た選手もそうだ。だから、どうしても非情に徹することができなかった。

ましてや先述の山井の場合は、いまだかつて誰も達成したことのない日本シリーズでのパーフェクトがかかっていた。永遠に歴史に名前が残る。代えるのはヒットを打たれてからでいい。たとえホームランを打たれても同点だ。私なら「行け!」と肩を叩いて送り出していたと思う。

勝負師としての私の限界

続投させた結果、打たれて負けたとしよう。だが、打たれたピッチャーは感じるのではないか。

「監督は自分を信頼してくれた。次は絶対応えてやる!」

そう感じてくれれば、本人にとってもチームにとってもプラスのほうが大きい。だから私は「あと少しだ。がんばれ」と尻を叩いて続投させただろう。

そういうところが勝負師としての私の限界だったのかもしれないが、そのおかげで成長した選手、生き返った選手がいたならば、それでいいのではないか、とも思う。

握手を求めるビジネスマン
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人は機械の部品ではないし、監督の道具でもない。目先の勝利、利益に固執するのは間違いではないが、こだわりすぎるあまり、肝心の「人」を殺してはなんにもならない。これは野球にかぎった話ではないのではないか。

「信頼は戦いの中から築かれる」

「信は万物の基をなす」という言葉がある。信頼はすべての基本である。信なくして、何事もなすことはできない。とくに監督と選手とのあいだには必要不可欠で、信頼関係がなければチームとしてのいい仕事などできるはずがない。

「この人についていけば大丈夫だ」

監督は選手たちにそう思わせなければならない。

ただし、これは必ずしも好かれることを意味しない。友だちのように仲良くすることでもない。それを勘違いしている、もしくは忘れている監督が、最近は多い気がする。むしろ私は思う──「信頼とは戦いの中から築かれるものである」と。