仕事や暮らしのあらゆる領域にAIが浸透する中で、「人間の存在価値はどこにあるのか」という問いが、これまでになく突きつけられている。感動ブロデューサーの平野秀典氏は「日本酒『獺祭』が世界で成功したのはデータと『人間中心デザイン』の共演にある」という――。
獺祭 純米大吟醸 磨き二割三分
獺祭 純米大吟醸 磨き二割三分(写真=Breizhiz75/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

自然と共に磨かれてきた人間の力

ChatGPTや生成AIが登場してから、社会は急速に「人工知能(AI)」中心の議論で賑わっています。

AIはどこまで進化するのか、人間の仕事はどうなるのか。多くの人が不安を抱くのも無理はありません。

しかし、この議論の中でほとんど語られていない重要な概念があります。

それが「自然知能(Natural Intelligence)」です。

人工知能(Artificial Intelligence)がデータとアルゴリズムを基盤に設計されるのに対し、自然知能は人間が太古から自然と共に暮らす中で培ってきた知恵であります。

・相手の表情や声のトーンから気持ちを察する力
・言葉にされない「間」や「余白」を感じ取る感性
・森羅万象からインスピレーションを得る直感
・世代を超えて伝承される「経験知」

これらは数値化やデータ化が難しいが、人間が人間らしく生きるための基盤となっています。

外山滋比古氏はかつて「知能は必ずしも人工的に作るものではなく、人間の暮らしや自然との関わりの中で培われるものだ」と語りました。

まさにその視点が、今のAI時代において再評価されるべきでしょう。

データだけでは人の心を動かせない

日本人は古来から自然知能を生活の中で磨いてきた民族です。

俳句の「季語」は自然の移ろいを通して感情を表現し、茶道や華道は「おもてなし」や「調和」の感覚を身体で学ぶ場であり、能や歌舞伎には「」という独特の美意識が宿っています。

これらは単なる文化芸術ではなく、自然知能を育てるための社会的な仕組みだったとも言えます。

一方で、現代社会では効率化や合理性を優先するあまり、この自然知能を意識する場が減ってきています。

データに頼ることが悪いわけではありませんが、それだけでは人の心を動かすことは難しいのです。