名将・野村克也氏の三回忌を追悼し、氏が晩年に語り残した金言をまとめたセブン‐イレブン限定書籍『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』が発売された。自らを高めようと努力を続けるすべての人へ贈るラストメッセージより、その一部を特別公開する──。(第3回/全4回)

※本稿は、野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

新庄剛志選手に打撃の指導をする野村克也監督
写真=時事通信フォト
1998年11月6日、阪神の秋季キャンプで新庄剛志選手(左)に打撃の指導をする野村克也監督=高知・安芸市営球場

阪神時代の新庄剛志という男

叱ることを指導の基本方針に置いていた私ではあるが、それが通じない選手もいた。阪神の監督として付き合うことになった新庄剛志である。

新庄の運動能力は、私から見てもほれぼれするものがあった。ある面でイチロー以上といってもよかった。

ところが、その言動も私の理解を超えていた。考えたり、頭を使ったりすることは苦手。秋季キャンプでバッティングのごく基本的なことを2、3アドバイスしたことがあった。すると、私がいい終わる前に新庄はいった。

「ちょっと待ってください。それ以上いわれてもわかりません。続きはまた今度」

ほめておだてて、キャリアハイ

他チームにいたときは、あれだけの才能がありながら、どうして2割ちょっとしか打てないのかと疑問に思っていたが、その理由が理解できた気がしたものだ。しかし、当時の阪神のチーム事情を考えれば、なんとかして彼の才能を引き出し、中心選手になってもらわねばならなかった。

新庄を観察してわかったのは、外見とは裏腹に、意外に繊細でナイーブであることだった。

彼に厳しいことをいっても、個性を殺し、かえって悪い結果を招きそうだった。その代わり、興味を持ったり、気持ちが乗ったりしたときにはとてつもない力を発揮する。

そこで私は、ほめておだてることにした。新庄に4番を打たせ、ピッチャーをやらせたりしたのはそれが理由だ。気分よく、楽しく野球をさせるためだった。結果として新庄は、それまでで最高といってもいい成績を残し、メジャーリーグにも挑戦することになった。