情報化社会の進展で、真実なのか偽りなのかわからない出来事が増えた。詐欺の巧妙化、情報倫理の無法化も止まらない。“知の怪人”荒俣宏さんは「18世紀の啓蒙主義は、中世世界を蔽った無知からの脱出法だった。膨大な情報で混沌とした現代にも“超人的な叡智”が必要だ」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、荒俣宏『すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

「人間と付き合わないと。書斎にいたんじゃ何もできない」と語る、荒俣宏さん。
撮影=門間新弥
「人間と付き合わないと。書斎にいたんじゃ何もできない」と語る、荒俣宏さん。

「無知からの脱出」と「未知への進出」

情報化社会というものは、けっこうあやうくて、やりにくい世界だ、と感じている人も多いのではないか。

ズバリいってしまえば、そこにはまだ「他者への心づかい」や「コンプライアンス」が欠けている。こういう感情的な「心配」や「不満」も、まだまだ機械に移せる特技ではないだろう。

その証拠に、一個人として生きる人々は、「あれ、情報化社会の未来って、こういうことだったの?」と、毎日届く社会の暗いできごとをインターネットで知るたびに心配できている。

不便と不満は発明の母である。何か人間として大切なことが、IT革命以来どうも欠けてきてはいないか、と。

これは、人間がユニバーサルな情報ツールの張りめぐらされた現代の中で、むかしとは違う、とても異質な支配力が日常に入りこんだせいだ。

電車に乗っても、多くの人が黙ってスマホを眺めている。わたしたちが「異世界」に暮らす「異人類」になったのなら、何がここで失われたかを分析することも、情報化社会を生き延びる力の1つになる。

倫理や法やメディアもまったく追いつかない…

子どもたちはデジタルの普及した今をどう生きるか、若いころにインターネットやスマホがなかった古い世代には想像も及ばないからアドバイスができないし、一人で考えださなければならない。

世界が正しく有益な知識や思考の増進に向かったことはたしかだけれど、それに比例して真実と偽りの交錯する混乱がひどくなった。何を信じていいかわからないのだ。

現在、もっとも問題になっているものに、詐欺の巧妙化とSNSによる情報倫理の無法化がある。

その進化のスピードがあまりに速すぎるために倫理も法もデジタルメディアも、まったく対策が追いついていない。つまり、みんなが仲良く自由に暮らすためのコンプライアンスが形成できていないのだ。

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