※本稿は、掛布雅之『阪神・四番の条件』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
「巨人には伝統があるけれど、阪神には伝統がない」
野球自体もそうだが、チームの戦力というのは、時代によって刻々と変化する。1985年の日本一の野球を毎シーズンできるわけがない。野球自体やチームの戦力が変化していくなかで、どうやって勝つかが、阪神に限らず各チームの命題になるわけだ。
1979年、阪神に前年ドラフト1位指名された江川卓が、当時のコミッショナーの「強い要望」によって、巨人選手との交換トレードとなった。相手は巨人のエース・小林繁さんだ。
阪神のミーティングに初参加した小林さんは開口一番、こう言った。
「巨人には伝統があるけれど、阪神には伝統がない」
打者では藤村富美男さん、吉田義男さん、田淵幸一さん、藤田平さん、投手では小山正明さん、村山実さん、江夏豊さんらが築いてきた歴史をないがしろにされたようで、僕は内心、憤慨して誓った。
「絶対、この人だけには負けまい」
事実、このシーズンは自己最多48本で本塁打王を獲得している。
しかし、いみじくもあの言葉こそ阪神が強くなるヒントを言い当てていたのだ。
そして、巨人にいちばん負けたくないのは小林さん自身だった。
小林さんは1976年・77年と連続18勝を挙げ、長嶋・巨人の初優勝・2連覇の原動力となった。翌1978年も13勝。押しも押されもせぬ巨人のエースだった。しかし、簡単にトレードされてしまったのである。小林さんの胸中はいかばかりだったか。
1979年、「阪神・小林」はライバル巨人に8連勝を含む22勝。最多勝と沢村賞に輝いた。「巨人だけには絶対負けない」――サイドスローながら帽子を飛ばしての熱投には、サードを守っている僕から見て鬼気迫るものを感じた。
あの言葉は、「オレは頑張る。阪神ナインも新しい伝統を築いていけ!」と僕たちに発奮を促していたのだ。