※本稿は、野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
叱ってこそ、人は育つ
最近のプロ野球の監督やコーチを見ていて、気になることがある。
「あまりに選手をほめすぎていないか?」
プロ野球にかぎらず、いまはまずほめることが奨励され、ほめて伸ばすという指導法が主流になっているようだ。しかし、私にはこれが疑問なのである。
「叱ってこそ、人は育つ」。私はそう信じ、叱って育てることを指導方針の基本に置いてきたからだ。なぜか──叱られた悔しさをバネに変えることを期待したからである。
高くジャンプするには、ひざをかがめて反動をつけなければならない。それと同じで、叱ることで選手の身体を押さえつけ、より強い反動をつけさせようとしたのである。
悔しさが「野球人・野村克也」を作った
これは、私自身の体験でもあった。南海ホークス時代に長く仕えた鶴岡一人監督は、めったに自軍の選手をほめなかった。
とりわけ私には厳しかった。「おまえは安物のピッチャーはよう打つが、一流は打てんのう」と、いつもケチョンケチョンにいわれた。
一方で鶴岡さんは、西鉄ライオンズの稲尾和久や中西太さんのようなライバルチームの選手を「あれがプロじゃ」と盛大に持ち上げ、「それに比べておまえは……」とこきおろした。三冠王になったときでさえ、ほめられるどころか、「何が三冠王じゃ!」と怒鳴られた。
正直、悔しかった。「こんちくしょう!」と思った。だが、私はそれを期待の裏返しだと考えた。そして、その悔しさを「いつか認めさせてやる!」とバネに変え、努力した。三冠王になったにもかかわらず怒鳴られたときも、「慢心するな」という意味だと受け止めた。
「これで満足することなく、さらに高みを目指せ」
そういっているのだと考え、努力を重ねた。そのくり返しが私を成長させたのは間違いない。