教えない、気づかせる

「教えたいという君たちの気持ちはよくわかる。だが、まずは選手にやらせてみなさい」

私はいつもコーチたちにいってきた。コーチから教えられないのだから、選手たちはたいがい失敗する。だが、それでかまわないのだ。

高津臣吾というピッチャーがいた。やがてストッパーとしてヤクルトスワローズの投手陣を支えることになる高津だが、入団時は並以下といってもいいピッチャーだった。「おまえら、よくこんなピッチャーを獲ってきたな」とスカウトに文句をいったほどだ。

高津本人はストレートに自信を持っていたが、私が見たところスピードも球威もそれほどない。変化球も横の変化ばかりで、このままで通用するとは思えなかった。

野球ボール
写真=iStock.com/EJGrubbs
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投手・高津臣吾が覚醒した瞬間

ただ、精神的には強いものがあったので、まずは中継ぎ、いずれは抑えに使えればいいと私は考えた。ただし、サイドスローだけに左バッター対策が課題だった。そこで私は高津にいった。

「おまえはストレートで勝負できるピッチャーではない。シンカーをマスターしろ」

しかし、高津はストレートに未練があるようだった。「なんとかして未練を捨てさせなければならない」と考えていたとき、絶好の機会がやってきた。1993年5月2日の巨人戦。4対1でリードして迎えた9回、高津はこの試合がデビュー2試合目の松井秀喜を打席に迎えた。

私は、キャッチャーの古田敦也を通じて高津に指示を出した。

「インコースのストレートで勝負せよ」

これには松井の実力を探るという目的もあったが、それ以上に「おまえのストレートがどれだけ通用するか自分で試してみろ」という高津へのメッセージでもあった。