教えない、気づかせる
「教えたいという君たちの気持ちはよくわかる。だが、まずは選手にやらせてみなさい」
私はいつもコーチたちにいってきた。コーチから教えられないのだから、選手たちはたいがい失敗する。だが、それでかまわないのだ。
高津臣吾というピッチャーがいた。やがてストッパーとしてヤクルトスワローズの投手陣を支えることになる高津だが、入団時は並以下といってもいいピッチャーだった。「おまえら、よくこんなピッチャーを獲ってきたな」とスカウトに文句をいったほどだ。
高津本人はストレートに自信を持っていたが、私が見たところスピードも球威もそれほどない。変化球も横の変化ばかりで、このままで通用するとは思えなかった。
投手・高津臣吾が覚醒した瞬間
ただ、精神的には強いものがあったので、まずは中継ぎ、いずれは抑えに使えればいいと私は考えた。ただし、サイドスローだけに左バッター対策が課題だった。そこで私は高津にいった。
「おまえはストレートで勝負できるピッチャーではない。シンカーをマスターしろ」
しかし、高津はストレートに未練があるようだった。「なんとかして未練を捨てさせなければならない」と考えていたとき、絶好の機会がやってきた。1993年5月2日の巨人戦。4対1でリードして迎えた9回、高津はこの試合がデビュー2試合目の松井秀喜を打席に迎えた。
私は、キャッチャーの古田敦也を通じて高津に指示を出した。
「インコースのストレートで勝負せよ」
これには松井の実力を探るという目的もあったが、それ以上に「おまえのストレートがどれだけ通用するか自分で試してみろ」という高津へのメッセージでもあった。