「もっとできるはずだ」のメッセージ

断っておくが、ぼやきは「愚痴」ではない。ぼやきと愚痴は、似ているようでまったく違う

愚痴は、「おまえができないから、おれまで責められるんだ」と、責任を誰かに転嫁するための後ろ向きの発言にすぎない。対してぼやきは、いうなれば理想主義の表れである。その選手の能力に比べて結果に不満が残るから、その選手が私の求める理想に届いていないからぼやくのだ。

「もっとできるはずなのに、どうしてやろうとしないのだ」
「どうしてその程度で満足してしまうのだ」

その選手に期待しているからこそ、ぼやくことになる。期待していないのなら、わざわざメディアの前で名前を出してぼやく必要があろうか。すなわち、ぼやきは愛情と期待の裏返し、愚痴とは正反対の前向きな発言なのである。

あなたに対して誰かがぼやいているのを聞いたならば、腹を立てる前に、まずは自分が求められるだけの仕事をしているか省みることだ。

「満足」を知らない男

ところで、私がぼやいたのは、選手に対してだけではなかった。自分自身に対してもしょっちゅうぼやいていた。

「どうして選手を思うように動かせないのか」
「どうしてこんな指示を出してしまったんだろう」

いつも心の中でぼやいていた。そして、目指す理想に少しでも近づこうと反省し、レベルアップに努めた。

「満足」という言葉は私の辞書にはなかった。だから、選手に対しても、自分に対しても、ぼやきが止まることがなかったのだ。