三女の田中由珠さん(38歳)が正式にワークマン須坂店をやっていくことになったのはごく最近のことだ。2021年5月の加盟である。

須坂店は母親の弟さんが店長になっていた店舗だった。坪根家の親族では4店舗を運営していたことになる。

「店長は無理!」と夫に相談したら…

田中さんは振り返る。

「叔父さんが辞めるとなったとき、どうするか、という話になったんですね。自分が店長にはなりたくなかったけど、それまでにも手伝っていたワークマンを続けていきたい気持ちは強かったんです。

使ってもらう立場のほうが居心地がいいので、そういう立場におさまりたかったんですね。『店長は無理! やらない』って言い続けていたのに、旦那に相談したことから、結果的には旦那に店長をやってもらうことになりました。それまでは別の仕事をしてたんですけど、この先もずっと続けていくかを悩んでいたところだったんです。そんな旦那がいてくれて助かりました(笑)」

長女の佐々本さんや次女の宮本さんは互いに助け合いながらも売上げなどを比較する“ライバル”という感覚もあるそうだ。だが、三女の田中さんにはまだその意識はない。

「始めたばかりなので自分の店のことでいっぱいいっぱいですから。姉たちをライバルと見るところまでは全然いってないです。これまでずっと姉たちには助けられてばかりだったので、そういうことを思い出すと泣きそうなくらいです」

そう言って田中さんは本当に泣き出してしまった。

店をやっていくと決め、実際に始めていくうえでは、姉たちの支えにそれだけ救われたということなのだろう。脳裏にはいろいろな場面が蘇ってきたのだと想像される。

個人の安全をえや建築ショットの真上に位置
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両親から悪口や愚痴を聞いたことがない

こうしてそれぞれにワークマンをやっていくことになったわけだが、「家業を継いだ」という意識は生まれるものなのだろうか?

佐々本さん(長女)は次のように答えてくれた。

「家業って言われると家業なのかなって。そういう感覚ですね。なにせ、うちの父と母のワークマンへの愛情がすごいんです。30年以上やってきているなかで、父と母からワークマンの悪口や愚痴を聞いたことはなかった。いい部分ばかりを聞かされて洗脳されてきたような気もするほどです(笑)」

宮本さん(次女)も頷く。

「たしかに家業を継いだという気持ちはありますね。家にも店(会社)にもどちらにも愛情はあります。親からは『ワークマンはいいよ。店長になれ、店長になれ』と言われながら育てられてきました。ずっと『やだ、やだ!』って言い続けてきたはずだったのに、いつのまにかこうなっていたという(笑)」

田中さん(三女)が須坂店をやっていくかどうかを悩んでいた時期には、佐々本さんに対して「ワークマンのいいところと悪いところを挙げてみて」と頼んでいたそうだ。

そう言われて佐々本さんは困ってしまっていたのだという。