うちの父親なんかの世代だと“自分のお店”という意識があったのかもしれませんが、僕には“グループの一員”だと思っているところがあるんです。本部から店を預かってる、というんですかね。預かってるものだから好き放題はやれないし、やらない。結果も出していかなければいけないという思いは親よりは強いんじゃないかという気がします。自分が経営者だという意識はあるんですけど、ワークマンの一員として、きちんとするところはしなければいけないという理解です」

3店舗のオーナーをどうやって決めたのか?

最初は兄妹の誰も加盟はしないで、それぞれに店を手伝うかたちになっていた。

それでは、誰がどの店のオーナーになるかはどのように決めたのか?

「僕は豊野町の店をやることが多くなっていたわけですが、うちの地元は飯山なので、長男として飯山(ワークマン飯山バイパス店)を継ぐことが決まっているような感じがあったんです。加盟した順番は契約期間の関係であとになりましたが、それで僕は飯山バイパス店の店長になりました。次女はずっと中野(ワークマン信州中野店)に入っていたのでそのまま中野ですね。

長女はもともと飯山の店をやってたんですが、旦那さんの仕事の関係で群馬に行ってたんです。それにもかかわらず、『やっぱりワークマンをやりたい』と言って長野に戻ってきたんですよ。そのあたりのことは本人が話すんでしょうけど、飯山は僕がやるようになっていたので、誰が継ぐかが決まっていない豊野町の店に入ったという流れでした」

過疎地域でも繁盛店になれる

店舗によって売上げは違うのだから、そのあたりについては問題にならなかったのだろうか?

「3つの店舗のなかでは豊野町の店の売上げがいちばん少なかったんで、兄妹のなかで所得格差が出てくることは危惧してました。その店は長女が継いだわけですけど、その後に台風で店が水没してしまうんですよ……。そのときも、大丈夫かな、と心配したんですが、ワークマンプラスに生まれ変わったことで売上げが倍増したんです。それでとにかく安心できました。

でも実は、僕がやっている店のある飯山市は過疎地域に指定されていて、いちばん売上げは少ないんです(苦笑)。それでも最近は一般のお客さんの来店が増えていて、売上げも2倍くらいになったんですね。“お兄ちゃんも飯山の人たちから頼りにされてるね”というふうに見てもらえたならいいんじゃないかなと思って、やっています」