「やっぱりワークマンがやりたい」とUターン

三姉妹それぞれの選んだ道も見ていきたい。

長男の光伸さんの場合は家業を継ぐ意識でワークマンを始め、その後に仕事のおもしろさに気づいたという流れだった。三姉妹の場合はそれより早くから“ワークマン愛”のようなものを育んでいたと見ていいかもしれない。両親がワークマンを始めてまもなく家を離れた光伸さんとは違い、ワークマンとともに育った意識が強かったからだ。

三姉妹のなかでもとくに“いろいろあった”のがワークマンプラス長野アップルライン店の店長になった長女の佐々本由佳さん(47歳)だ。

佐々本さんは高校時代から学校帰りに店を手伝うようになっていた。いちどは他の会社に就職したが、退職して本格的に店に入りはじめた。その状態を15年ほど続けたあと、ご主人の転勤についていくかたちで群馬県へ行くことになったのだ。

それなのに……。

「群馬でもいろいろパートはしたんですけど、そのうちやっぱりワークマンがやりたいって気持ちが強くなってきたんです。理由は言葉にしにくいですね。ワークマンをやっていた頃はとにかく充実していて楽しかった。そういう思い出しかなかったんです。それで主人に『長野に帰ってワークマンをやりたい』って相談したら、自分も仕事を変えてついていくと言ってくれたんです」

ご主人の仕事や群馬での生活がありながら、ワークマンがやりたいという理由で地元に戻ってきたというのだから普通は考えにくいケースだ。ご主人が良き理解者だったからこそ可能になったといえるはずだ。

カラフルな冬のダウンジャケット
写真=iStock.com/Tanateph
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念願の加盟から2年後「すべてを失った」

群馬に行く前の佐々本さんは飯山バイパス店を手伝っていたが、この店は兄の光伸さんがやるようになっていたので、後継者がまだ決まっていなかった長野アップルライン店に入ることになった。

「このときに私は、当時、父がやっていたアップルライン店に入ったんですが、再契約のときに『私がやりたい!』と言ったら、兄は反対したというか、心配してました。売上げが低かったからなんですけど、それより私としては、とにかくワークマンがやりたかった。それでアップルライン店で加盟したんです。……ただ、その2年後に水害があって、すべてを失ったようになってしまったんですね」

2019年10月13日、台風19号による豪雨被害である。

店は一夜にして1.2メートルの高さまで水に浸かってしまい、1週間ほどは店舗に近づくことさえできなくなった。

このときの話をすると、佐々本さんは涙で言葉に詰まった。

“これからいったいどうなるのか……”不安に押し潰されそうになっていた頃のことを思い出しての涙なのだろう。