選択肢が多すぎて決断できず、かえってストレスが溜まることがある。心理学研究者のフランク・マルテラさんは「ある程度以上良いと思えるものを見つけたらそれを即それを選べばいい。最良のものを求め続けるとかえって不満や後悔が大きくなる」という——。

※本稿は、フランク・マルテラ『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の一部を再編集したものです。

「今を楽しく生きる」という強迫観念

現代の、特に西欧の社会では、幸福がなによりも優先すべき人生の目的となった。幸福は大きなビジネスを生んでもいる。2000年には、幸福をテーマにした本は50冊ほど出版されただけだったが、わずか8年後、その数は4000冊に近くなった。

現在では、“幸福担当役員=CHO(Chief Happiness Officer)”と呼ばれる役職を置いている企業まで存在する。その名のとおり、社員に幸福をもたらすことを仕事とする役員だ。また、ソフトドリンクや香水などを消費者に“幸せを届ける商品”として販売する企業もある。

政府までもが幸福に注目し始めている。世界の156カ国を、国民がどの程度幸福かでランクづけした“世界幸福度報告”が最初に発表されたのは2012年である。この報告に注目する人は年々増えている。南アジアの小さな王国であるブータンでは、1970年代以降、GDP(Gross Domestic Product=国内総生産)ではなく、GNH(Gross National Happiness=国民総幸福量)を増やすことを政府の目標としてきた。

ブータンの国民
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雑誌の記事から、書籍、歌、広告、マーケティング戦略などにいたるすべてが、GNHを増やすという目標達成に寄与するものになっている。現代においては、「今を楽しく生きる」という考えはもはや強迫観念に近いものだと言ってもいいだろう。幸福を追求することは個人の権利というだけでなく、個人の義務であると言う人もいる。

ただ困ったことがある。幸福は結局、単なる感情なのだ。ともかく、自分の置かれている状況や、これまでの経験を良いものだと思うことができ、総じて満足していれば、その人は幸福だと言える。つまり、生きている中で不快な経験よりも快い体験を多くすれば、それで幸福になれるということだ。

そうだとすれば、幸福は、人生に永続的な意味を与えてくれるものではないことになる。幸福を追求せよ、と言われても、単に不快なものを避ける行動を続けるだけの人間になる可能性は高い。