テレビもウェブメディアも西村氏に頼り切っている

インテリやエリートのなにやら複雑で難しい話を聞かされているうちに、騙されているとまではいわないが、どことなくけむに巻かれたり馬鹿にされたりしているような気分になってくる――メディアを通じて日々そんな感覚を味わってきた庶民たちにとって、西村氏は「インテリやエリートの小難しい話をわかりやすくダイジェストしてくれる」だけでなく、おまけに彼らをロジカルに詰めて「論破」してその鼻を明かしてくれるのだから、これほど溜飲が下がることもない。

テレビメディアで番組を企画する側の人びとも「大衆はエリートやインテリを畏敬しながら、同時に反感や嫌悪感を抱いている」というアンビバレントな感情があることに気づいていたからこそ、西村氏を重用することは合理的だった。

また今日ではウェブメディア業界も、西村氏を「ネットのアングラの立役者」ではなくて「テレビで大人気の論破王」としての文脈でいわば「逆輸入」している。彼がウェブメディアでもお茶の間に発するのと同じテイストで「~~する人は頭が悪い」「本当に賢い人は○○をする」と語れば、それだけで爆発的なPVが寄せられる。この空前のブームに便乗しない手はない。

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写真=iStock.com/tadamichi
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「反知性主義だ」と批判するほど追い風になる

SNSなどでセンター試験の点数を生涯の自慢話のように語り、自分たちの知的水準や教養の高さを四六時中披露しあっているネットユーザーの視点から見れば、西村博之氏が幅広い世代から支持を集め、さながら「時代の寵児」となっていることは紛れもなく「反知性主義の台頭」であるように見える。彼のような人間に子どもたちが憧れるなど、この世の終わりである――と。

だが、西村氏に向けられるそうした「上から目線」の批判や冷笑こそが、氏にとってはなによりの追い風になる。西村氏をこき下ろせば――たとえ批判内容が妥当であったとしても――そうした言明自体が「頭の悪い奴がわれわれのような知的エリートの言っていることにいちいち異論をはさむな」というある種の傲慢な態度として庶民に届いてしまうからだ。庶民に貫通して届いたスノビズムをともなうメッセージは、西村氏の信頼失墜ではなく期待や支持として還元されていく。