「エリートを論破する」カタルシスを与えてくれる
大衆社会に静かに渦巻いている「反インテリ」「反エリート」の感情をくすぐり、さらには「論破」という形のカタルシスを提供してくれる。お高く留まっていたインテリやエリートたちの「物知り兄ちゃんにも議論で敗れるくらい、実は大した連中ではない」「頭でっかちなだけで、あまり賢くはない」「偉そうな肩書があるだけで、中身はハリボテだった」といった事実を白日の下に容赦なくさらし、お茶の間に届けてくれる。
「エリートvs.エリート」の形式をとる、よくある政治討論番組などでは絶対に味わえなかったような高揚感が、西村博之氏にならば提供できる。「エリートvs.部屋着のままリモート出演するちょっと物知りな兄ちゃん」という構造によってだ。しかも部屋着のまま出演する顎ヒゲをたくわえた男の方が、きちっとした容貌のエリートよりも「すぐれている」ようにさえ見える様相に、人びとはスカッとした気分になり、喝采を送る。
元「アングラ」のプリンスだった男に、子どもたちは憧れのまなざしを送り、中高年はその当意即妙な弁舌術に舌を巻く。
数年後には、「ひろゆき」が地上波のテレビ局各社で人気の司会者やコメンテーターを務めていたとしても、私はそれほど驚かない。