「ネット民」からの評判は悪くても……

読者の皆さんも、一度は「ひろゆきがまた的外れなこと言って恥を晒している」といった趣旨のネット記事やSNSのバズを見かけたことがあるのではないだろうか。もはやツイッターでは「ひろゆきの誤った知識を嘲笑するコンテンツ」は、SNSにおけるバズ獲得の定番ジャンルとなっている。

しかしながら、西村博之氏が「誤った事実認識や知識不足に基づいて放言する胡散臭い人間」と定評を得てしまっているのはせいぜいネットユーザーの世界でだけだ。お茶の間にはその評価は連続していない。すでに西村氏はお茶の間では「賢いのに偉そうにふるまわず、私たちの目線でなんでもわかりやすく教えてくれる物知りなお兄さん」として支持を集めている。

「ひろゆきの地上波進出」を支えているのは若者だけではない。中高年世代からも、西村氏のその軽妙な語り口は「わかりやすく物事をかみ砕いて説明してくれる」と感心されて高い評価を得ている。むしろ若者以上にテレビの視聴時間の長い中高年世代こそが、「ひろゆき」を新時代の論客として、それこそ橋下徹氏や池上彰氏がテレビタレントとして収まってきたポジションの「後釜」に据わることを歓迎しているのだ。

撮影中のスタジオ風景
写真=iStock.com/izusek
※写真はイメージです

「エリート嫌い」の空気感をコンテンツに昇華した

西村博之氏は、橋下徹氏や池上彰氏の名跡を継ぐ者としてテレビ業界に重用されていることは間違いないが、しかし西村氏はそうした人びとよりもさらに「庶民」の側へと歩み寄っている。

西村氏がいま担っている「地上波の有名人」としての役割は、過去に西村氏と同じような立ち位置で重用されてきた先人たちと同じような「自分たちのような賢くない庶民にも難しいことをわかりやすい説明で教えてくれるナビゲーター」というポジションには留まっていない。そこからもう一歩前に、よりラディカルに進んだ形になっている。

――すなわち「立派な肩書や学歴のある専門家や知識人といったインテリ層・エリート層の『頭の良さ』なんか、実は大したことないじゃん」という反知的権威主義・反スノビズムの旗手としての役割である。

市民社会にうっすらと、暗黙裡に、しかし着実に流れていた「インテリぎらい」「エリートぎらい」の空気感を見事にコンテンツにまで昇華してくれる存在であることが、西村氏の画期的な点であった。

橋下徹氏や池上彰氏も必要に応じて「反エリート」「反権力」的なスタンスをとることはあった。しかし彼らの肩書や職業もたいそう立派なものであり、世間的にはどちらかといえば「エリート」側の人であると認識されていた。しかし西村氏はその軽薄で緊張感のない語り口や、「論破王」「インターネットに詳しい人」などよくわからない肩書、肩ひじ張らない服装や童顔な顔立ちもあって、庶民から「きっと彼は《こちら側》の人だ」という親しみやすさを抱かれるには十分だった。