「早くしなさい」「ちゃんとしなさい」「いい子ね」は子育ての場面で多用される言葉だ。だが、教育改革実践家の藤原和博さんは、ある時から、なるべく使わないようにしようと決めたという。きっかけは、4歳の息子を連れて家族でロンドンに引っ越したことだった——。

※本稿は、藤原和博『60歳からの教科書』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

子どもの後ろ姿
写真=iStock.com/Juanmonino
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「父親としての私は子どもたちに育てられた」

我が子との関係について述べてみたいと思います。

まずお伝えしたいのは、「子が、親を育てる」ということ。

私の場合も「父親としての私は子どもたちに育てられた」と言い切れます。

私が「親」になった1990年代、すでに述べたように、成長社会から成熟社会への大転換が始まっていました。それが意味するものは、20世紀の高度経済成長期に「正解」と考えられていた、力強い家長的な「父性の時代」の終焉でした。

「正解」のない時代には、父親自身が子どもに教えてもらいながら、ともに学び続けるしかなかったのです。私自身も七転八倒しながら、学んでいきました。

そもそも独身のサラリーマンだった私です。結婚して家族2人になり、子どもができて3人になったというだけで、家族の中で父が果たす役割については考えたこともありませんでした。子どもを育てる喜びはありましたが、「たまごっち」のような育成ゲームをしているような感覚で、父という存在について真剣に考える機会はなかったと思います。

一方で私は、仕事の行き詰まりを感じていました。時代を先取りして会社が保有する情報のデジタル化と、それを活用したマルチメディアソフトの出版を始めたものの、その意義を会社がなかなか理解してくれない。

ついには進めていた事業に上からストップがかかり、集めたスタッフを解散しなければならない事態に追い込まれたのです。私はリストラを実行する過程で、新規事業を担当する者が時折陥る、会社と自分の関係における「閉塞感」に襲われるようになりました。

ロンドン暮らしで自覚した「古い日本の影」

閉塞感は、同じ場所に留まっている限り、打破することはできません。だから私は家族を連れて、一度海外に出ることにしました。そのとき4歳の長男の他に、妻のお腹には妊娠8カ月になる赤ちゃんがいました。

ロンドンでの4歳の息子との暮らしは、自分自身がどれほど無意識のうちに父の姿を真似していたかに気づく機会になりました。それまでの私は、まだ反抗期の延長で、父を反面教師に「できるだけ逆の生き方」をしようとしていたのです。

それにもかかわらず、長男を叱る場面では、なぜか父から受けた「父らしさ」から逃れられない。息子に対して「こんな人に成長してほしい」という願いにさえも、自分の父や母から影響を受けた古臭いイメージが忍び込みます。

さらにやっかいなのは、私自身が日本の戦後教育で刷り込まれた呪文の数々でした。高度経済成長を担う“経済戦士たち”を大量生産した受験制度。それに直結した企業でのサラリーマン教育。それらの影が、自分と息子の関係性をも覆ったのです。

私の言葉や態度の端々に、古い日本の影が染み着いていることを感じ、それが子どもに伝わっていることが分かって、文字通りゾッとしました。知らず知らずのうちに、我が子を自分と父のコピーにしようとしていたのです。