なぜ中学生オリンピアンはあんなに楽しそうだったのか
史上最多のメダルラッシュとなった今夏のオリンピック。中でも印象的だったのは、10代選手の活躍です。檜舞台でライバルと競う姿は、実に堂々としていました。中には12歳、13歳という選手もいて、そのあどけなさに驚かされたものです。
オリンピックに出られるのは、ほんの一握りの選手です。天才か、あるいは想像を絶する努力を積み重ねた優秀なアスリートに許される場所、というのが一般的なイメージでしょう。ところが今回は、そのハードルを軽やかに越えた中学生、高校生が何人も現れました。
彼らに共通しているのは、好きなことをやってきただけという気負いのなさです。多くの選手がメダル獲得、入賞、としっかり結果を残しながら、「汗と涙と根性」を感じさせない爽やかさも印象的でした。
なぜ、あれほど楽しそうに大舞台に臨めたのか? なぜ、物怖じせずに結果を出すことができたのか? それは、彼らがとてもすぐれた「アウトプット力」を持っていたからだと思います。
「意見はありますか?」静まり返る大人たち
アウトプット力とは文字通り、「外に出す力」です。自分の考えを話したり書いたりする。自分が正しいと思う行動をする。何かを作り出す。得意なことを人に見せる。そういう能力です。
ところが日本人は、アウトプットが苦手な人が多い。講演会で「何かご意見は?」と尋ねると、会場は大抵シーンとしてしまいます。仕方がないので誰かを指名すると、なかなか鋭い質問が出てきたりする。自分の意見はちゃんと持っているのに、それを人前で披露することに臆病なんですね。これは、知識を獲得することに重きを置いてきた日本の教育のあり方にも問題があると思います。
知識の獲得は、いわばインプットです。本を読む、漢字の練習をする、数学の公式を覚える、日本の産業について調べるなど、子どもたちは学校で多くの知識をインプットします。知識の定着具合はテストで確認されますから、テストの結果がいい子=頭のいい子、とされてきました。
静かに先生の話を聞くことが求められ、疑問を口にするとたしなめられたりします。「なぜ?」と質問できる能力こそアウトプット力なのですが、それを封じてしまう空気がありました。今の大人の多くは、そういう雰囲気の教室で学んできたのではないでしょうか。