経団連トップを刺激する記事は、忖度で締め出された
私はM&A(企業の合併・買収)やコーポレートガバナンス(企業統治)を主な分野にして活動していた。その延長線で日本経団連とぶつかることが多かった。もともと証券部に所属して投資家側の視点で取材し、大企業経営者とは一定の距離を置いていたためだ(Nは大企業を取材する産業部畑)。
問題だったのは、日経が完全に経団連――大企業中心の団体――寄りの紙面を作っていたということだ。東京・大手町の日経本社ビルが経団連ビルと隣り合わせであるように、日経本社トップと経団連トップも近い関係にあった。
となると編集局内で忖度がはびこる。経団連トップ――当時の会長はキヤノンの御手洗冨士夫――が気に入らない日経記事を目にすると、事実上のホットラインでそれが直ちに日経本社トップに伝わり、編集局内部で共有されるのだ。
結果として、経団連トップを刺激しかねない記事は忖度によって紙面上から一斉に締め出された。多くは私の記事だった。
2006年当時、経団連が毛嫌いする動きが二つあった。一つは「三角合併」の解禁であり、もう一つは「アクティビスト(物言う株主)」の台頭である。両方とも私が追い掛けていたテーマだった。
三角合併で敵対的に買収する外資は一社も現れなかった
まずは三角合併解禁。拙著『不思議の国のM&A』(日本経済新聞出版社)に詳しく書いてあるが、当時は経団連を中心に外資脅威論が吹き荒れていた。2007年5月の会社法施行で三角合併が解禁されると、巨大外資が日本企業を敵対的に買収し、貴重な技術が海外流出してしまう――これが経団連の主張だった。
資本自由化を背景に日本企業が一斉に株式持ち合いに乗り出した1960年代に戻ったかのような騒ぎだった。「失われた10年」から「失われた20年」になろうとしているなか、外資を排除して成長を目指すような戦略は理にかなっていたのだろうか。
私から言わせればまったくピント外れだった。
第一に2005年に対日直接投資は1996年以降で最低を記録していた。国内総生産(GDP)比で2%にとどまり、世界平均の23%を大きく下回っていた。直接投資の半分以上はM&Aであるから、外資脅威論ではなく外資歓迎論を盛り上げなければならない状況に日本は置かれていた。
第二に経団連は「三角合併解禁で時価総額が小さい中小企業が狙われる」と主張していた。だが、三角合併とは現金ではなく株式を対価とした株式交換公式のM&Aのこと。現金では買収できないような大型M&Aが念頭に置かれており、中小企業買収でわざわざ三角合併が使われるというシナリオは荒唐無稽だった。
実際、その後の15年間を見れば、経団連の主張が本当にピント外れだったことが証明されている。三角合併をテコにして日本企業を敵対的に買収する外資は一社も現れなかったのである。