ジャーナリストの牧野洋さんは2007年まで日本経済新聞の記者だった。ニューヨーク特派員や編集委員などを歴任したが、15年前のある出来事をきっかけに退社した。一体なにがあったのか。牧野さんの著書『官報複合体 権力と一体化するメディアの正体』(河出文庫)より紹介する――。
東京本社ビルの経団連
写真=iStock.com/JHVEPhoto
※写真はイメージです

「経営者100人に取材するように言われていただろ」

日本経済新聞社に24年以上勤めていて、怒鳴り合いをするほど編集幹部と対立したのは一度だけだった。会社を辞める半年前のことだった。15年前でもう時効だと思うので、辞めたいきさつを記しておきたい。

2006年暮れ、都内のレストラン。私は信頼する編集幹部Nと食事中だった。

「ニーマンフェローに応募したいので、協力してほしい」

ニーマンフェローとは、米ハーバード大学のジャーナリスト奨学研修制度のこと。私はいったん報道現場から離れ、もう一度充電して知見を高めたかった。だが、冷たい反応しか得られなかった。

「駄目だね。俺が直属の上司ならペケにする」
「なぜですか?」
「産業部に異動したばかり。経営者100人に取材するように言われていただろ」

当時、私は40代の半ばであり、日経産業部所属の編集委員として主にコラムや解説を担当していた。社内的にはすでにベテラン。にもかかわらず「ペケにする」と言われ、まるで新人記者のように扱われた気持ちになった。

「経団連企業に密着取材し、もっと耳を傾けろ」

怒りを抑えられなくなった。レストラン内に大勢の食事客がいたにもかかわらず、怒鳴り合いに突入した。隣にいた若手記者一人はぼう然としていた。

ニーマンフェローを拒否されても仕方がない。すでに20代後半で米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクールへの留学を認めてもらっていた手前、ぜいたくを言える立場でもなかった。

ショッキングだったのは「経営者100人に取材」である。意味しているところはよく分かっていた。経団連企業に密着取材し、彼らの言い分にもっと耳を傾けろ――このようにNは言っていたのだ。

Nは直属の上司ではなかったものの、私にとっては長らく良き理解者であった。Nがいる限りは、社内でどんなに理不尽なことがまかり通っていても、日経にとどまるのも悪くない――このように私は思っていた。

それなのに経団連企業に密着取材しろとは……。はしごを外されていたのだと悟った。レストランを後にするころには、すでに会社を辞める腹を固めていた。実際、数カ月後に正式に退社の意思を表明し、翌年5月末に辞めた。