「ハゲタカ外資」という差別的言葉
次にアクティビスト台頭。経団連で外資脅威論が広がっていたのは、外資系投資ファンドが日本国内でアクティビストとして目立つようになっていたからだ。それを反映してメディア上では「ハゲタカ外資」という差別的言葉が飛び交っていた。
私は内外の投資家やガバナンス専門家への取材を重ねているうちに「日本にこそアクティビストが必要」という確信するようになっていた。2001年には雑誌「日経ビジネス」上で元祖ハゲタカファンドの米リップルウッドを取り上げ、「ハゲタカが日本を救う」という巻頭特集を手掛けた。当時の状況を踏まえれば、相当アバンギャルドな特集だったと思う。
日本では長らく株式持ち合いが横行して株主権が封殺され、いわば「経営者至上主義」が蔓延していた。株主のチェックを受けずにワンマン社長が跋扈すれば、日本企業は競争力を失う。そんななか、私はアクティビストに光明を見いだしたのである。
なぜ村上世彰と堀江貴文は排除されたのか
ハゲタカ外資と同列で語られていたのが日本版アクティビストの草分けともいえる元通産官僚の村上世彰だ。通称「村上ファンド」を立ち上げ、保守的な経済界に変革を起こそうと意気込んでいた。
しかし村上はメディア業界から敵視され、「拝金主義者」のレッテルを貼られていた。フジテレビに経営改革を迫るなどメディア業界にも投資先を広げていたからだろう。読売新聞グループ本社会長の渡辺恒雄からは「ハゲタカ」と一蹴されていた。
「ホリエモン」ことライブドア社長・堀江貴文も忘れてはならない。村上と近い関係にあり、フジテレビの筆頭株主であるニッポン放送株の買い占めでメディア業界を敵に回していた。やはりハゲタカ外資と同列で語られていた。
アクティビスト問題でも日経は経団連と歩調を合わせていた。系列のテレビ東京株を取得されていたからなおさらだった。編集局内では「村上ファンドの宣伝になるような記事は書かないように」という暗黙の合意が出来上がっていた。忖度である。
2006年前半、村上ファンドは阪神電気鉄道株を大量取得し、世間をにぎわしていた。そんななか、村上はシンガポールへ移住した。メディアからの激しいバッシングに耐えられなくなったからだ。