「日本で新型コロナのワクチン接種を拒否する人は罪になりますか?」
では、仏教者である私は(答えに窮する質問ではあったが)、先述のロシアの通信社の取材にたいしてどのように回答したか。
結論として「仏教ではワクチン接種を拒否することを、罪とはみなさない」と伝えた。確かに、ワクチン拒否は、場合によっては仏教の戒めのひとつ「不殺生(むやみに殺さない)」や「不邪見(誤った見解をしない)」にひっかかるとの見方ができるかもしれない。
だが、接種拒否が他者に死をもたらすというのは飛躍が過ぎる話だ。このような三段論法が通るのであれば、人身事故を起こす可能性のある車の運転も、将来、他人を傷つける可能性のある子供を産むことなども、許されないことになってしまう。
そもそも、ワクチン拒否派をひとくくりにして「悪」ととらえるのは、あまりにも救いがなさすぎる。
副反応を恐れて、ワクチン接種をストレスに感じ、どうしても接種したくないという人は、わが国にも少なからずいる。そうした人を排除するのは、仏教の説く「寛容」「慈悲」「平等」の精神からも大きく逸脱する。世の中には、いろんな事情を抱えた方、いろんな価値観の人がいるのだ。
ワクチン接種は政治的戦略の側面もある。そこに宗教が関与していくことは、日本における政教分離の観点からも違和感があるというものだろう。
もちろん、日本の仏教界は感染症対策には極めて敏感になっており、ワクチン接種を推奨していることは申し添えておく。浄土宗大本山の増上寺ではワクチンの集団接種会場になっているし、私自身、先日、2回目の接種を終えたばかりである。
福音派やロシア正教会のワクチン問題は、いずれも極端な例だろう。翻れば、良くも悪くも日本の仏教が寛容なのかもしれない。コロナ禍において不寛容は、分断や差別、迫害を生む元凶にもなる。そう思えば、日本仏教がもつ寛容性は、世界にもっとアピールしてもよいのかもしれない。