販売権を勝ち取った“ある一言”
「考えてみたら、それは僕が冗談ばかり言ってることなんだよ。外国人に言わせればほとんどの日本人はユーモアがない。外国人に冗談を言われても切り返せないから、すぐ怒るか、それとも緊張してしゃべれなくなってしまう。
クロックさんは『成功さえしてくれれば、後は何も望まない』とまで言ってくれた。しかし、それでも僕はまだ返事しないんだ。そこが普通の人と違うところだね。実に疑り深い性格をしている。
帰りにハワイに寄って、生まれて初めてハンバーガーを食べた。僕自身はおいしいとは思わなかったが、一緒に行った若い社員が『社長、こんなうまいもんおまへんで』と、ビッグマックを2つも食っちゃった。周りを見渡したら、その店は日系人の2世、3世でいっぱいなんだ。
よし、日本でハンバーガーを売れば必ず儲かると、やっとそのとき、確信した」
以上は藤田が表向きにした「なぜ、私がマクドナルドの権利を取れたか」である。
しかし、彼はわたしに「ほんとはね。クロックさん個人に金をあげると言ったんだ」。
レイ・クロックという人もまた一筋縄ではいかない男だ。藤田が言った「ほんとうのこと」が真実だろうとわたしは思う。というより、おそらくそれが正しい。
「変人」「金の亡者」というイメージが強いが…
さて、マクドナルドは成功し、日本に根付いた。創立直後こそ、「猫の肉が入っている」といったデマを流されたりもしたが、ハンバーガーにJAS規格を導入し、製品表示することで雲散霧消させた。以後は順調に成長し、1982年には日本の外食産業でトップに立ち、そのままである。
2003年、藤田はトップを退任した。その後、一時の不調もあったが、日本マクドナルドはコロナ禍でも最高益を叩き出している。
晩年まで、彼は意欲的に仕事をした。しかし、彼個人に対するイメージは決して良くはない。「変人」「奇人」が定評で、「金、金、金の我利我利亡者」といったことを言う人もいる。顔を見るのも声を聞くのも嫌だという人間も少なくない。しかし、彼のキャラクターは善か悪かといった二面的なものではなく、遥かに複雑なものだ。
高校時代からの友人は住友銀行の大阪本店部長代理時代に、藤田の担当をしていた新橋支店長から「頼む、東京に来てくれ」と依頼されたという。
新橋支店長は接待されることを嫌っていた藤田にどうしても食事をご馳走したかったのである。