池脇あやのさん(40代・仮名)は、生活保護を受けながら二人の子どもを育てるシングルマザーだ。元夫の暴力に耐えかねて離婚したが、その後一度だけ体の関係になり妊娠、同じ相手と再婚した。それでもうまくいかず、再び離婚したという。ノンフィクション作家の西牟田靖氏がその半生を聞いた――。

※本稿は、西牟田靖『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)の一部を再編集したものです。

こぶしを握る人とうずくまる人のシルエット
写真=iStock.com/coehm
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持病を抱えながら女手一つで2人の子どもを育てる

「不安神経症にパニック障害、うつにぜんそく、加えてバセドー病。いろいろ併発してて、朝昼晩と毎日すごい量の薬飲んでる。でも飲まへんと生活できひん。元気なときはトラックの運転手やってたんやけどな」

池脇あやのさんは3度目の離婚の後、住み始めた2DK風呂付きの木造平屋のダイニングでそう話した。

昭和の匂いが濃厚に残る大阪府K市。高度成長期に建てられた木造モルタル2階建ての住宅が迷路のように密集している。生活保護率が全国平均の約3倍。庶民的で、そして人情深い。そんなK市で生まれ育ち、結婚し、子を産み、育ててきた池脇さん。生活保護を受けながら、彼女はどうやって二人の子どもを育ててきたのか。

23歳で結婚したが、子どもができず…

――結婚する前の生活を教えてください。

中学校を卒業した後、ビデオの組み立てラインの仕事をやってた。その工場では自分が一番若いから、みんなに気を遣わなあかんし、どんどん忙しい部署に回されるしで、精神的にしんどくなってしまった。しまいにはベルトコンベアが揺れて見えだした。さらには神経がいかれて電車にも乗れんようになった。自律神経失調症っていうのになったんや。

うち、O(伝説のシンガーソングライター)のファンやねんけど、音楽の機材運ぶトラックってあるやろ。「そのうち、あれを運転してみたい」って思ってな、トラックの運転手になったんや。20歳ぐらいのころやな。体の調子悪いから親には心配されたけど、結果オーライ。運転の仕事をする分には人付き合いはせんでええから、精神的な負担が少なくて、自分に向いてたんやわ。

最初は2トン車に乗って、コンビニの制服とかのリネンを運んでた。その後は先輩からいただいたデコトラで、鮮魚を市場へ運ぶようになった。電飾ギラギラの紫色のあんどんがついてる4トン車で、ビュンビュン走り回ってたんや。トラック野郎みたいやろ? いやあ、あのころ、ほんま楽しかったわ。

――結婚したのはいつですか?

23歳のとき。相手は2歳年下の同僚の運転手で、Aという人。AもOのファンやし、結婚中はずっと仲が良かった。でもな、子どもが出来へんかったんやわ。妊娠せえへんかったんやわ。

うちが30歳のころ、Aは「ちょっと実家に行ってくるわ」って言って、淀川の反対側にある実家に行って、そのままこっちに帰ってけえへんかった。今考えたら、たぶん女ができたんやと思うわ。