行き当たりばったりで、変化を作ればいい

そして、のんびりしたいのか、変化を望んでいるのかが明確になったら、次にやるのは、その目標は自分の努力だけで達成できるのか、自分の努力だけではどうにもならないのかを明らかにすることです。

自分の努力でどうにかなるのなら、やればいいのです(ここで「やればいいと言うけれど、それができないから苦労しているのだ」と思うようなら、お悩みメリーゴーラウンド。事態は一向に好転しません)。

一人暮らしが単調だと思うなら、ルームシェアするか、シェアハウスに入居するか、同棲するか、結婚するかでしょう。

しかし、その生活を始めてもすぐに飽きて一人の時間がほしいと思うようになるでしょう。そうしたら、一人になれる時間と空間を作ればいいのです。

臨機応変、行き当たりばったりで乗り越えていく覚悟さえしておけば、人生はとてつもなく愉快です。

会社と自宅の往復が単調と思うなら、三日に一回は通る道(路線)を変えるなど、いくらでも方法はあるでしょう。

自ら作る変化は、向こうからやってくる変化よりも、あなたにとって、ずっと的確です。

単調な生活にも「忍耐強さを鍛練する」「実力や技術が身につく」などの意義を見出した上で、心の変化という風を日常の中で吹かせてみてはいかがでしょう。

地下鉄のホームと発車する電車
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです

掃除機のフィルターを洗って気がついた

自分の関心があること以外に興味を示さない人がいます。

じつは示さないのではなく、示せないのかもしれませんが、四十歳になるまでの私がそうでした。

そんな人がよく口にする言葉に、「ツマラナイ」があります。

世の中には膨大な量のできごとがありますが、関心領域が狭ければ狭いほど、必然的に自分に関係ないことが多くなり「ツマラナイ」ことが多くなります。

「詰まる」はもともと、ある空間に隙間なくいっぱい入っている、まるでM&M'sチョコレートがギュウギュウ詰めになった袋のような状態のことです。この空間を心に置き換えれば、心にまだ隙間があり満足できないのが「詰まっていない」=「つまらない」状態です。

四十歳になるころ、使っていた掃除機に「フィルターを掃除してください」というサインが出たことがありました。指示に従っていれば間違いがない、かりに間違っていたら指示を出した側に責任転嫁できるという処世術を身につけていた私は、真面目にフィルター掃除をしました。

洗面所で薄い四角のスポンジフィルターを洗い、薄汚れた水が出てくるのを見たときでした。「掃除機のフィルターだけではなく、私の心も目詰まりしているのかもしれない」と思ったのです。