「つまらない」が口癖の人は、考え方を変えたほうがいい。密蔵院住職の名取芳彦さんは「そういう人ほど心のフィルターが詰まっている。心の風通しが悪くなったときに出る言葉がツマラナイなのです」という――。

※本稿は、名取芳彦『上手に発散する練習 “風通しのいい心”になる考え方』(青春新書プレイブックス)の一部を再編集したものです。

秋の寺院で禅を行う仏教僧
写真=iStock.com/SAND555
※写真はイメージです

単調な日が続くと、飽き飽きしてくる

忙しい日々が続くと「ああ、のんびりしたい」とため息を漏らし、のんびりした日が続くと「ああ、変化がほしい」とのどの奥まで夕陽が届くほど大きなあくびをします。

そして実際に目まぐるしく変化する生活が続けば単調な生活に憧れるのですから、人間とは勝手なものです。

忙しいにしても、のんびりした日にしても、どちらも同じことをし続けると飽き飽きしてしまうのでしょう。

ただし、それが悪いわけではありません。漢字の書き取りや坊さんの修行も、同じことを繰り返すから身につく技術や実力なのです。そもそも仏教も、2500年間、同じことを説き続けているという意味で、大いなるマンネリと言えるのかもしれません。

忙しい状態でもヒマな状態でも(この二つは一見矛盾するようですが、変化続きの状態も、ずっと変化ばかりしているという意味で単調です)、それが続くと何となく心にモヤモヤとしたものがたまってくるのは、人類のDNAに刻まれたシステムで、脳科学がそれを明らかにしてくれるかもしれません。

「どんな生活を望んでいるのか」を考える

しかし、モヤモヤがたまるのは仕方がないと、諦めることはできません。

将来、人類が太陽系や系外惑星探査に出かけるときは、何年、何十年も宇宙船の中で単調な日々を過ごさなければなりません。宇宙飛行士たちのモヤモヤが原因でミッションが失敗するのは避けたいでしょう。

そのためにも、単調な生活が私たちの心を不活性化させる原因究明の研究成果には期待したいところです。その成果は、私たちの日常生活にも大いに役立つはずです。それまでは、試行錯誤をしながら自分なりに単調な生活をやりくりするしかないでしょう。

そこで、仏教的なアプローチをご紹介します。

私たちは忙しければのんびりしたいと思い、のんびりしていると変化を望みます。

変化が多いと逆の単調な生活を望んでいる自分に「我ながら勝手なものだ」とニヤリと笑って呆れてしまうのも、現実をそのまま受け入れる覚悟をするという意味で、いい方法です。

大切なのは、単調な生活にウンザリし始めたら、まずウンザリしている自分に気づくことです。

次に、自分は今と違ったどんな生活を望んでいるのかを明らかにすることです。

のんびりしたいのか、変化がほしいのか、変化と単調のバランスがとれた生活をしたいのかなどを明確にするのです。目標を明確にして、具体的に動き出さなければ、現状は変わりません。