自分の思い通りにならないときに「苦」を感じる
私たちが日々抱く、「ちぇっ」、「嘘でしょ」、「何でだよ!」などのネガティブでマイナスの感情を総称して、仏教では「苦」と言います。
苦の定義は「自分の都合通りにならないこと」です。この定義に反論の余地はないように思われます。
私たちは、物事が自分の思い通りになっていればイライラもしないし、文句も言わなくてすみます。ですから、ネガティブでマイナスの感情が起きるのは、いつだって自分の都合が叶っていないときなのです(他人の都合は関係ありません)。
仏教は、この苦から解放されることに特化したコンテンツと言っていいでしょう。いつでも、どんなことが起こっても苦から離れ、心おだやかでいるための教えが、2500年説き続けられてきたのです。
洋の東西を問わず、昔から苦をなくすための方法は二つあります。
一つは西洋的な考え方で「努力して都合を叶える」方法。
私たちの家にある掃除機、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの家電製品などの発明品は、ことごとく私たちの都合を叶えるために作られました。おかげで暮らしの中の苦が少なくなり、楽になりました。
「自分の都合」を減らせば、心はおだやかになる
苦をなくすもう一つの方法は、インドや東南アジアの文化圏の「都合そのものを少なくする」という方法です。
仏教の考え方もこれに当たります。この方法を消極的だとして嫌がる人がいますが、心おだやかな人になるという目標のためには、あなどれない方法です。
昼時にレストランに入ったらお客さんが満員でウンザリ顔になったら、「まあ、昼時に来る私がいけないのだ」と納得すれば、混んでいるのは仕方がないと、キレイに諦めることができて、苦は減ります。
天気予報でにわか雨の予報が出ていたのに高を括って傘を持たずに出て、雨が降ってきたら一瞬嫌な顔になるでしょうが、「私の判断が甘かったのだ」と思えば、それほど苦を感じずに雨宿りできたり、「これで予備のビニール傘がもう一本増えるぞ」とウキウキすることさえできます。
何十年も生きているのですから、苦への対応は早めに身につけておきたいものです。
その対応策は、それほど難しいことではありません。