価値がなければ愛されない?

教会には、クリスチャンやそうでない方も含めて大勢の人が救いを求めてやってきます。悩みの種類はさまざまですが、最近目立つのは、何かやりたいことがあるのに失敗が怖くて踏み出せないという悩みでしょうか。

たとえば、息子さんがもうすぐ大学を卒業するのに、不採用になることを恐れて就活に消極的になっているという親御さんもいました。また、気になる異性がいるのに、フラれたくないからデートに誘うことを躊躇している男性もいました。どちらにも共通しているのは、傷つくことを恐れていること。失敗するくらいなら現状維持のほうがいいと考えて、やりたいことを諦めてしまうのです。

じつは聖書には、失敗を必要以上に怖がる人を勇気づける言葉がたくさんあります。旧約聖書のイザヤ43章4節には、こう書かれています。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

一般に、愛は価値を根拠にしています。「美しいから愛する」「仕事がよくできるから大事にする」というように、優劣や生産性の高さなどを理由にして愛を注ぐわけです。しかし、神の愛は、価値に依存していません。神はご自身を裏切った民さえ「高価で尊い」と評価して、変わらぬ愛を示します。世間でいう価値が高かろうが低かろうが関係がない。無条件の愛です。