玉川氏の謝罪からわかること
だが、ここで一つわかることがある。
それは、玉川氏は「批判のための批判」をしているというよりは、サラリーマンとしてできる範囲の時間を割いて業務にあたり、番組で求められる立場として上述したコメントをしたということだ。つまり、彼にはイデオロギーがあるわけでも、つぶさに事実を検証していくジャーナリスト精神が宿っているわけでもない。
それを示す彼の発言がある。
玉川氏は以前、文春オンラインにおける直撃インタビューで、自身がテレビに出るコメンテーターになった理由について、「(僕は)制作者がどういう風なことを出演者に望むかということも体感上で分かるんですよ。僕はやっぱりディレクターなんです。番組に生で出てて、他のスタッフが演出した、準備した以上の足りない部分の演出を自分でやっているという感じなんですよ」と発言している。
結局、サラリーマンにすぎない
つまり、確固たる思想があるわけではなく、会社が自信に望む期待に対して忠実に応える一人のサラリーマンにすぎないと発言しているのである。それこそが、彼が政権に対する批判的な発言を“気まぐれ”に口にする理由にほかならない。
コロナ禍において視聴率の好調が続く同局において、玉川氏は優秀なサラリーマンにすぎない。だがこのあっけない事実に対し、SNSに代表される世間はあまりに玉川氏に敏感になりすぎているきらいがあると思うのだ。とはいえ、世間に影響力のあるテレビ番組に出演する人物が事実と異なる報道をするのは大いに問題があることだけは付言しておきたい。