アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄

石油ショックは、ロッキード事件にもつながっています。日本は石油の供給をアメリカの石油メジャーに依存していた。そんななか、中東諸国はイスラエルの味方をするアメリカやその同調者には石油を売らないと宣言した。田中はエネルギーで自立するために中東諸国やソ連に接近した。これにアメリカが怒り、ロッキード事件で田中を失脚させたというのが僕の見立てです。僕は中央公論に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」を発表して、その顛末を書きました。それを田中が読んで信用してくれましてね。81年に初めてインタビューすることができました。

出会いは強烈に印象に残っています。僕は30分前に、目白の田中邸に入った。ところが約束の時間を30分過ぎても田中がやってこない。秘書の早坂に聞いたら、「実は昨日、オヤジ(田中)に言われて君の資料を集めてきた。朝からそれを読んでいて、まだ終わってない」と。普通、資料を読むのはインタビュアーの僕のほう。でも、田中は逆にインタビュアーのことを徹底的に知ろうとしていた。これはおもしろい政治家だなと、改めて感じました。

結局、インタビューは1時間遅れで始まりました。終わった後、また難題が降りかかった。田中が金庫から茶封筒を出して僕に渡すのです。

おそらく厚みから100万円はあったと思います。これを受け取ったらおしまいです。しかし断って怒らせたら、自民党の取材ができなくなる。悩みましたよ。結局、いったん受け取って、その足で田中事務所に行き、最敬礼して返しました。2日後に早坂から「田原君、オヤジがOKしたよ」と電話があって、首の皮一枚つながった。OKが出ていなければ、僕のジャーナリスト生命は絶たれていたはずです。

それ以降、田中とは本音の付き合いをさせてもらいました。田中は娘の眞紀子さんをかわいがっていてね。「眞紀子は早稲田を出ていて賢いのに、ときどき本を持ってきて、『お父さん、この字はどう読むの?』と聞いてくる。親孝行だ」と自慢していました。

85年に脳梗塞で倒れて、以降は政治への影響力を失っていきました。日本にとって残念なのは、田中以後、あれほどの構想力を示す政治家が出ていないということです。

(構成=村上 敬 撮影=的野弘路)
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