10歳で帰国後、両親のサポートを受け「プロを目指す」

カナメさんは、「キラキラした衣装を着て、メイクをして、アクセサリーをたくさん付けてステージに立つ」ことを目標に、その練習にコツコツと励んだ。途中、父の勤務先のパーティーで練習の成果を披露する機会があり、インド人スタッフから大喝采を浴びたことが大きな喜びになった。

そんな中、父の帰任が決まった。2018年、カナメさんが10歳の時だ。会社から派遣された駐在員である以上は必ず帰任があり、その時期は会社が決める。それはカナメさんにとっても母にとっても同じだった。

「日本に戻ってもバラタナティヤムを続ける」と無邪気に話すカナメさんに対して、母は、やる気が減速するのは目に見えていると感じていた。カナメさんのモチベーションは、「ステージで踊る」ことだが、日本では踊るステージがまずない。バラタナティヤムの知名度はきわめて低い。さらに、バラタナティヤムの決まりで「『アマチュアダンサー』は、師匠の許可なしに人前で踊りを披露することはできない」のである。

母は考えた。「そうだ、カナメが早くプロになればいいんだ!」

プロデビューすれば、日本で堂々とステージに立つことができ、カナメさんはそれを目指して頑張れる。そして「小学生のプロダンサー」というインパクトで、インド文化やバラタナティヤムそのものも注目されるのではないかと考えたのだ。

父、カナメさん、母
撮影=水野さちえ
父、カナメさん、母

師匠立ち会いのもと、一人で1時間半を超える演目を踊れるか

バラタナティヤムで「プロになる」というのは、デビュー公演「アランゲトラム」を行うことを指す。これは「プロへの登竜門」であり、師匠立ち会いのもと、一人で1時間半を超える演目を踊りきらなければならない。この公演を無事行うと、バラタナティヤムのプロとして活動することができ、また、指導者として人に教えることもできる。

日本への帰国が近づく中、母は師匠に相談した。

「カナメには、アランゲトラムを行う力はついていますでしょうか」
「まだ早い」

当時カナメさんは10歳。4歳から始めたとはいえ、インドでは、8歳から始めて、技術・表現・体力的に、早くても14歳を過ぎてからアランゲトラムを行うのが一般的なのだ。

しかし、母は諦めなかった。カナメさんの才能は師匠も認めていた。そしてカナメさんも、先輩ダンサーたちの姿を見て、「いつかは自分も」とアランゲトラムを意識していた。そこで、「早くデビューするには具体的にどうすればいいのか」と師匠に相談したのだ。

その熱意が師匠の心を動かした。帰国後オンラインで師匠のレッスンを受け、夏休みに渡印して毎日特訓し、きちんと水準に達していれば、8月末にアランゲトラムを行うという特別プログラムが組まれることになったのだ。14歳以下でのアランゲトラムは、舞踊学校開校44年の歴史の中で、初めてだった。