「名代富士そば」誕生の秘密

おかげさまで富士そばは海外18店舗、国内133店舗になりました。約50年をかけてゆっくり店舗を増やしてきましたが、途中にはターニングポイントがいくつもありました。そこで判断を間違えていたら、いまのような規模にはなっていなかったと思っています。

名代富士そば ダイタングループ会長 丹道夫氏
名代富士そば ダイタングループ会長 丹道夫氏

最初の決断は、立ち食いそばの店を始めたことです。私は1960年代半ば、3人の共同経営者と不動産業を営んでいました。そのころ不動産業は絶好調でしてね。大きな山を買って羊羹のように切って売るだけで、お金がどんどん入ってきました。月の売り上げは30億円。毎日1億円の現金が入ってくるので、銀行が私たち専用の窓口をつくってくれたほどです。

でも心の中では、「こんな商売は麻薬だ。ありえない」と思っていました。10代のころは八百屋や油屋で丁稚などをしていて、稼ぐことの大変さは身に染みてわかっていたのです。ボロ儲けできる商売は、絶対に長続きしません。いずれダメになるのだから、そのときに備えて堅実な商売をやっておかないといけない。そう考えて、仲間に立ち食いそば屋を提案したのです。