そのころ東京には立ち食いそば屋がありませんでした。新潟か福島を旅行したときに駅のホームで見かけたのですが、あの業態は、みんな忙しく動き回っている東京のほうが合うはず。仲間をそう説得して、1人70万円ずつ預かりました。当時の私たちの月給は500万円でしたから、70万円もそこまで高くはなかった。1号店は渋谷。お菓子屋さんをやっていた4.5坪の場所でした。目論見は当たって、すぐに1日1000人の人がやってきました。軌道に乗って、新宿、池袋、西荻窪にも立て続けに店を出しました。
確実に日銭が入ってくるのは心強かった
繁盛したといっても、当時かけそばの単価は1杯45円です。1つ売って200万円の利益が出た不動産業と比べると、まったく儲かりません。でも、確実に日銭が入ってくるのは心強かった。その後、紆余曲折あって仲間とは袂を分かち、独立してこれまでやってきました。ここまで長く続けられたのは地に足がついた商売をやってきたからだと心から思っています。
次の大きな転機は、お茶の水店の出店でしょうか。いい物件があると聞いて見に行ったら、たしかに場所はいい。ただ、有名な建築家が改装した物件で2000万円するという。相場よりずっと高くて、かなり悩みました。しかし、最終的には出店を決めました。いい物件なら客は入るし、「富士そばは、いい物件なら金を出す」と評判になれば不動産屋さんから情報を持ってきてくれるようになると睨みました。
実際、お茶の水店を出した後は物件の情報が集まり始めました。いまも毎朝30~40件は物件紹介のファクスが届きます。そして、そこから本当にいい物件だけを選んで出店する。その戦略を方向づけたのが、お茶の水店だったわけです。
ちなみに私が考える“いい物件”の条件は、道路の地面が見えないくらい人が歩いていること。よし、いけると思える物件は少ないですよ。知り合いの不動産屋や金融機関からは「もっとバッと出せばいいのに」と言われます。でも、規模を拡大しようと急いで出店することはしてきませんでした。
厳選しているいまでも失敗はあります。お客が入らなくて撤退すると、違約金は払わなくちゃいけないし、従業員を遊ばせることになる。1つ失敗したら、それを取り戻すのに相当な時間がかかります。そう考えると、失敗を覚悟して慌てて出すより、遅くても絞りに絞って出したほうがいいのです。
勝ちパターンが確立されてからは、経営上の迷いはほとんどなかったように思います。唯一揺れたのは、私自身の人生の問題です。