フラワーアーティストとして世界中で活躍するニコライ・バーグマン氏は19歳で来日して以降、埼玉県の羽生市や川越市などでフラワーアレンジメントの技術を磨いた。デンマーク出身のバーグマン氏は、なぜ日本で働くことを選んだのか――。
※本稿は、ニコライ・バーグマン『いい我慢 日本で見つけた夢を叶える努力の言葉』(あさ出版)の一部を再編集したものです。
24年前の卒業旅行で初めて日本を訪れた
私が最初に日本を訪れたのは24年前、1996年のこと。デンマークのビジネスカレッジでフラワーデザインとビジネスのライセンスを取得したお祝いの卒業旅行でした。
行き先に日本を選んだのは、「父の仕事関係の知り合いのデンマーク人がいる国なので、仕事を経験させてもらえるだろう」という考えがあっただけで、正直なところ日本も中国もタイも区別がつかないような感じでした。
滞在期間は3ヶ月の予定。もちろん観光もしましたが、その多くを知り合いのいる埼玉県羽生市でひたすら働くというのは、19歳の若者の卒業旅行としてなかなかめずらしい内容だったと思います。
そこでは鉢物生産者の仕事を体験させてもらいました。ただ、苗を土に入れる作業を毎日ずっとしていたので、1ヶ月ほどで飽きてしまい、別のことも体験したくなってきました。
そこで、鉢物生産者のデンマーク人に頼み、同じ埼玉県の川越市にある2軒のフラワーショップを紹介してもらい、掛け持ちで働くことになったのです。