「デンマークに帰りたい」と言うとあっさり断られた

デンマークでの職業訓練時代も辛いことはたくさんありましたが、仕事はたいてい17時や18時で終わり、土曜は14時で終わって日曜と月曜は完全に休み。2日間半が休みだったので、友達と飲んだり出かけたりバカみたいに遊んで、辛さを吹き飛ばすことができていました。

それが日本では、日曜にウェディングの仕事が入った日は月曜に休みをもらえるとはいえ、休みは週に1回。体力的にも辛かったですが、私としてはリセットする時間が少ないことが何よりも辛かった。自分が思っていたハードワークと日本人にとってのハードワークの差が半端ではなく、完全に圧倒されていました。

日本でハードワークをこなす中で、辛かったことがもうひとつあります。それは、「デンマークに帰りたい」という願いを受け入れてもらえなかったこと。半年以上、ほとんど休みなく働き続けたところで一度お願いしてみたのですが、あっさり断られてしまいました。

その時、社長に言われたのは「今はここで働いているのだから、私たちのやり方でお願いします」ということ。つまり私を特別扱いせず仲間として受け入れてくれていたわけです。でも私は、「え? 休みをもらうのは当然の権利のはずなのに何を言っているの?」「帰りたいと言っているのになぜ帰れないの?」という感じで、まったく理解できませんでした。

今思えば、その頃の私はまだ“デンマーク人の頭”だったのです。デンマークではサマーバカンスを数週間取るのは当たり前なので、日本でだってバカンスを取ってもいいはず。どうしてデンマーク人の私にまでそんなことを言うのか……。「自分はデンマーク人なんだから特別に扱ってほしい」という甘えがあったわけです。

撮影=吉松伸太郎
ニコライ・バーグマン氏

逃げ出さなかったのは「刺激的なエナジー」があるから

ではなぜ、私はそんな日本を逃げ出さなかったのでしょうか?

それは日本の「エンドレス・ポテンシャル」に強い魅力を感じていたからです。

デンマークは愛する大切な故郷ですが、日本と比べれば小さくて何もない国です。

日本は建物の大きさも人の多さもデンマークとはケタ違いで、あらゆることがまったく違うところがとても新鮮に見えました。私がもっと、人間としてもフラワーアーティストとしても成長するためには、そういう「自分をワクワクさせる刺激的なエナジー」が必要だと感じたのです。

実際、1998年に再び日本へやってきてから、ワクワクするような刺激を受けることがたくさんありました。たとえば、六本木にある大きなフラワーショップ。真ん中にガラスの冷蔵庫があって、色鮮やかな花たちがバーッと並んでいて、本当に美しくてきれいでした。バラ1本が1500円くらいして、当時の私は高価なプレゼントでも買うかのような気持ちでそのバラを買った覚えがあります。