地元政財界も職人も三男を支持した

結果としては、2004年12月に最高裁で三男の敗訴が確定。第二の遺言が有効とされたため、長男が筆頭株主となり、取締役全員を解任し、自分が社長の座につきました。

ところが、さすが老舗文化の京都です。地元政財界の有力者たちが、「信三郎氏を応援する会」を立ち上げ、三男を支持したのです。「裁判さえ勝てば老舗の経営を握れるというものではない」と支援者のひとりは当時説明しています(「AERA」2006年2月20日号)。

三男は最高裁の敗訴が確定する以前の2005年3月に別会社を立ち上げています。そこへ三男を慕う職人が全員移籍したため、見事「信三郎帆布」を開店させることができました。一方の一澤帆布工業は、事実上の製造部門を全て失い、やむなく営業を休止することとなりました。

相続が「争族」になると悪影響は甚大

しかし、これでは終わらなかったのです。

2006年3月、今度は三男の妻が原告となって、第二の遺言の無効確認と取締役解任決議の取り消しを京都地裁へ提訴したのです。三男の妻は、第一の遺言で株式を遺贈されることとなっていたため、提訴する権利がありました。

その結果、最終的には2009年6月、最高裁で、第二の遺言は「偽物で無効」であることが確定し、取締役解任決議も取り消されるという逆転劇が起こりました。

これを受け、翌7月に三男・信三郎氏夫妻が一澤帆布工業の代表取締役へ復帰しました。実は裁判はこの後も続きましたが、結局、経営権は三男・信三郎氏のものとなり、同社は現在も営業を続けています。

とにかく相続が「争族」になると、膨大な時間と労力を消費し、そして従業員や取引先等へ多大なる迷惑と悪影響を及ぼすことがお分かりいただけると思います。

それにしても、なぜこのような争いが生じてしまったのでしょう? 問題の原因は、出てきた遺言が二つとも「自筆証書遺言」だったという点です。