2006年に起きた京都の老舗かばんメーカー「一澤帆布工業」の相続トラブルは、大きな注目を集めた。結局、あのトラブルの原因と教訓はなんだったのか。税理士の井口麻里子氏が解説する――。
写真=毎日新聞社/アフロ
一澤ブランド分裂「一澤帆布工業」と「一澤信三郎帆布」通りを挟んでそれぞれ営業=2006年10月16日、京都市

「生前に父から預かっていた」という第二の遺言

2006年に起きた京都の老舗かばんメーカー「一澤帆布工業」の相続トラブルについて、覚えている方は少なくないと思います。池井戸潤氏の小説の題材になったとも言われています。私自身も、当時たまたま京都へ出張した際、街の人々が熱心にうわさ話をしていたのを覚えています。

この騒動の主役は、「二つの遺言」でした。

2001年3月、3代目の一澤信夫氏が死去。会社の顧問弁護士が信夫氏から預かっていた遺言(いわゆる「第一の遺言」)を開封しました。その内容は、信夫氏所有の一澤帆布工業株式の大半を、当時すでに4代目社長であり、信夫氏と共に会社を切り盛りしていた三男の信三郎氏夫妻に相続させるというものでした。

ところがその4カ月後、長男の信太郎氏が「生前に父から預かっていた」という第二の遺言を持ち出したのです。その内容は、信夫氏所有の株式の大半を長男の信太郎氏へ相続させるというもの。

内容の全く異なる遺言が出てきた場合には、新しい日付の遺言が優先します。第一の遺言の日付は1997年12月、第二の遺言は2000年3月。通常であれば第二の遺言が有効となりますが、ここで三男は第二の遺言の無効確認を求め、訴訟を起こしました。