「素顔のままで」、「ピアノ・マン」、「ニューヨークの想い」などで知られるアーティスト、ビリー・ジョエルは、「人を信用しやすい性格」だという。そのため、これまで何度も“カネ”をめぐる裏切りに遭ってきた。彼が巻き込まれてきたトラブルの数々を紹介しよう――。(第3回、全3回)

※本稿は、フレッド・シュルアーズ著、斎藤栄一郎訳・構成『イノセントマン ビリージョエル100時間インタヴューズ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

画像=『イノセントマン ビリージョエル100時間インタヴューズ』
カネをめぐり、何度も痛い目に遭っているという

稼いでいるはずなのに、カネに困っていた

70年代から80年代にかけて数々のヒット曲を生み出し、世界的な人気を誇っていたビリー・ジョエル。音楽では抜群の才能を発揮したものの、カネやビジネスに関してはズブの素人だった。おまけにお人好しで、人を疑わない性格のために、何度も痛い目に遭っている。

すでに何曲もヒットを送り出し、世界的に不動の地位を確立していたビリーは、文字どおりアメリカンドリームを体現したといってもいい状態だったが、1988年にCBS社長のウォルター・イェットニーコフと会食した際、ビリーが口にした悩みにウォルターは衝撃を受けたという。

「ビリーはニューヨークにあるアパートを400万ドル(現在のレートで4億円強)ほどで(ミュージシャンの)スティングに売却しようとしていました。代わりに郊外にある家を手に入れたいと言っていました。(彼にしてみれば)それほど高額ではなくて1000万ドル(10億円)くらいだったと思います。『スティングにアパートを買ってもらえないと、こっちの家の契約が結べない』と言うので、『おいおい、スティングからカネが入ってこないと、新しい家が買えないというのか? だいたい、君には5000万ドル(50億円)くらいの現金があるはずだ。いったいどうしたんだ。何かおかしいぞ。会計監査を入れて調べたほうがいい。君がカネに困っているはずがないんだ』と言ったんですよ。でも彼はのらりくらりとしていて、(当時の金庫番・マネジャーの)フランクを信用しているとの一点張りでね…」