怒り、苦痛、混乱を形にしたアルバム
プライベートとビジネスの両面での人間関係に関するゴタゴタを象徴するのが、アルバム『ストーム・フロント』だ。
「当時の生活には怒りやフラストレーション、苦痛、混乱が立ち込めていて、これを形にしたアルバムだと思います」
ビリーが『ストーム・フロント』を完成させた当時、どの曲がヒットするのか見当もつかなかったという。ビリーにとって、金銭面と裁判の件で頭がいっぱいで、チャートどころではなかった。だが、蓋を開けてみれば、『ストーム・フロント』は、ビリーが音楽のセールス面で盤石の地位を築いたことを示す新たな証左だった。1989年9月から1991年1月までの間に同アルバムからシングルカットされた7曲すべてが、順位はさまざまだが『ビルボード』のチャートに入っている。また、アルバム自体もチャートに入り、一時はミリ・ヴァニリを首位から引き摺り下ろすほどの勢いを見せた。
公私ともに人間関係への期待が打ち砕かれた
1990年3月、偽融資の返済名目でフランクが200万ドルを懐に入れていた件で、フランクに弁済を求める判決を州裁判所が下した。
ところがフランクが破産を申し立てたことからビリーに支払われた額はわずか10分の1程度にとどまった。金銭面の損失を懸命に取り返すだけでなく、人間関係の裏切り、傷ついた友情、冷めかけた結婚生活という心のしこり、それでもまだ子育てに関われるのではないかという期待が交錯する一方、一刻も早くツアーをこなさなければならず、これから逃げるわけにもいかない。さまざまなインタビューや証言、裁判書類に見られるビリーの言葉を丹念に見ていくと、2度の結婚、仕事上のほぼすべての人間関係で次々に期待が打ち砕かれていったことがわかる。
続いてアルバム『リヴァー・オブ・ドリームス』をリリースする。
「途中までは、自分がどのくらいうんざりしているのかもわかりませんでした。その後、自分が書いてきた曲が怒り、苦悩、嘲り、皮肉、失望、幻滅だったとわかったんです。曲のつながりに注目してほしいんです。最初の曲は“肥溜め”みたいなもの。ナンセンスのかたまりです」とビリー。子供のころ、父親は感情の起伏のままに周囲を振り回していたのだが、その感情をそのまま表現したような曲だ。