事態について全責任を負うのが「実行する」立場

「言うだけ」には責任は伴わない。ある意味、言いっ放し。世の中の事態がどうなろうが最終的には責任は負わない。新聞の社説やテレビのコメンテーター、学者などが、偉そうなことをどれだけ言おうが、何の責任もないので、これほど楽なことはない。僕が今、その立場。知事、市長のときと比べて、ほんと天国と地獄の差くらいに楽になったよ(笑)

国会議員も同じ。基本的には「言うだけ」。責任は負わない。

ところが、「実行する」立場は、事態について全ての責任を負う。大臣は、自分がやったことだけではなく、自分の所管領域の事態について全責任を負う。特に総理大臣となれば、世の中のあらゆる事態に全責任を負う。これは、ほんときつい。逆に、それだけの責任を負うからこそ権限も保有し、自分が腹を括れば世の中を動かすこともできる。これが、大臣、総理大臣というポジションだ。

地方の知事や市長も、地方政治における大臣のようなもの。自分が所管する地域のあらゆる事態に全責任を負わされる代わりに、権限も与えられる。その権限をどう使うかは、知事や市長次第である。

(略)

政治家は、国民から猛反発を受けるようなことを実行してこそ意味がある。

だけど、そういうことを実行するのは面倒くさいんだよね。

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小泉さんは大臣就任あいさつで、環境省の職員に対して、「私を使って下さい」と述べたが、環境省の職員のみならず、日本国民がこの小泉さんを活用しなければならない。日本の難題について小泉さんを活用して乗り切っていかなければならないんだ。

そのためにも、小泉さんには、国民からの反発を避けて、自らの権限をフルに使わない政治家にはなって欲しくない。自らの権限をフルに使い、一部反発を受けながらでも難題を解決していく政治家になって欲しい。そして、その姿が日本の若手政治家に影響し、「俺も小泉さんに負けてられない!」と奮起するような事態を期待している。