NHKドラマ「魯山人のかまど」では、食と美の巨人・北大路魯山人の芸術家としての人生が描かれている。私生活はどうだったのか。魯山人の評伝を読んだライターの村瀬まりもさんは「5回の結婚・離婚の経緯を知ると、妻に対してはモラハラ気質のある人だったとしか思えない」という――。
北大路魯山人生誕地 石標(京都市・上賀茂)
北大路魯山人生誕地 石標(京都市・上賀茂)(写真=Yanajin33/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

魯山人は「女の敵」だったのか

ドラマ「魯山人のかまど」(NHK、中江裕司脚本・監督)で藤竜也が演じた伝説の美食家・陶芸家・書家である北大路魯山人きたおおじろさんじん(1883~1959年)。

没後66年、いまや本人より、彼をモデルにしたグルメ漫画『美味しんぼ』のキャラクター、海原雄山(魯山人の孫弟子という設定)の方が有名だが、魯山人が海原と大きく違うのは、76年の生涯で5回も結婚して離婚したということだ。

この経歴を聞いただけで、現代に生きる私たちから見れば、女性に次々と手を出す「女の敵」のような匂いがプンプンする。ドラマで描かれたようにプライドが高く、傍若無人で癇癪持ち、使用人はすぐクビにし、仕事仲間や文化人たちとも衝突してばかりいたという魯山人だが、果たして、女性に対してはどうだったのか。

魯山人が京都の旧家に生まれながら、生後すぐ実母に捨てられ、子供のころは孤独で苦労したのはドラマでも描かれたとおり。しかし、東京で書道家・篆刻家として名が売れ始めた25歳のとき、将来を言い交わした仲であった仕出し屋の娘タミを京都から呼び寄せて結婚する。

タミは美しく献身的な女性だったが、文化的な教養に乏しかったともいう。

魯山人は結婚中から大きな書店主のお嬢さん、“せき”に言い寄るようになり、彼女の父親から結婚の許しをもらうと、冷酷にも2人の息子まで成した糟糠の妻を離縁した。

「ひどい男説」はどこから来たのか

魯山人が「女好き」で、気に入った女をすぐに布団に押し倒すような「ひどい男」というイメージが広まったのは、白崎秀雄による長編評伝小説『北大路魯山人』(ちくま文庫)の影響が大きい。

その本によると、白崎は魯山人本人と実際に会ったことはなかったものの、2番目の妻“せき”には彼女が老年に入ってから対面して取材したという。

“せき”は白崎にこう言って、魯山人に対する恨み節を展開した。

「北大路ってのは、悪い奴でございましたよ。あれは初めからおしまいまで、私に対しては財産が目当てでございました」

“せき”の実家は、東京の中心地に店を構えていた書肆・松山堂。

“せき”は魯山人から書道を習い始めて、猛烈にアプローチされ、自分は妻子持ちではあるが「家内(最初の妻)が男狂いをして始末がつかないので、とうとう離縁した(実際にはしていなかった)」という説明を真に受けてしまった。そして、魯山人に箱根の旅館に連れて行かれ、「生木を引き裂くように無理強いに結ばされてしまいました」と語ったという。