公衆の面前で殴った女性

魯山人は美しく心優しい女性たちを5人も妻にしながら、ついには彼女たちをひとりの人間として見ることができなかったのかもしれない。厳しく言えば、現在、心理的に研究されるようになったモラハラ夫の典型的なパターンにも思える。「女性の敵」かどうかとジャッジするなら、間違いなく、敵だろう。

そんな魯山人に文字通り「一発食らわせた」女性もいる。

それは魯山人の作品を買い求める立場だった強い女。エッセイスト・評論家の白洲正子は魯山人の作る焼き物を入手し絶賛していたが、「ただ一度だけだが、昔、私は魯山人をなぐったことがある」と書き残している。

白洲正子
白洲正子(写真=朝日新聞社/『アサヒグラフ』1952年4月23日号/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

パーティーの趣向として、白洲が着ていた紅葉柄の着物に魯山人が墨で書を入れることになったのだが、白洲が着物を脱いで魯山人に渡し、長襦袢になった(洋服の下着姿に等しい)のに、魯山人は途中まで書いておいたところでもったいぶって筆を止め、30分ほど最後の仕上げをしなかった。

「こちらは衆人環視の中で長襦袢一枚でふるえているのである。ついに癇癪かんしゃくを起こして、もろに一発食らわせてしまった。魯山人は女になぐられたことは一度もなかったらしく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔つきをした。

間髪入れず、(パーティーの主宰者)長尾夫人が飛んで来て、『よくやってくれたわね。あたしが長年やりたかったことなんだよ』。さすが彼女は私よりはるかに大人だったのである」
(『文芸の本棚 魯山人』河出書房新社)

妻子と絶縁し、孤独のうちに死去

白洲が魯山人を殴ったのも痛快だが、わかもと製薬の創業者夫人である長尾よねのリアクションがさらに痛快である。

よねは、星岡茶寮を追われた後の魯山人に大量の陶磁器を発注し、彼を支えたクライアントであった。魯山人のわがままに手を焼きつつ、晩年近くまで支援を続けたが、その彼女でさえも最後には、魯山人に陰で悪口を言われて絶縁したという。

魯山人を殴っても許されるぐらいの女性だったら、魯山人と対等に付き合えたのかもしれない。彼の女性観を変えることもできたかもしれない。しかし、モラハラ気質の男性はそういう女性を妻には選ばないというのも、昔も今も変わらないこの世の真実なのである。

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