成功のカギは「手続き的正義」の考え方だった

絶対的に正しいものが分かりにくい時にこそ、その正しさを追い求めるプロセス・手続きをきっちりと踏んで、できる限り正しいものに近づけるというアプローチをとる。これが「手続き的正義」の考え方だ。表現の「内容」で判定するというよりも、「手続き」をきちんと踏んでいるかどうかで判定するアプローチだ。

結論から言えば、「公金を使っている以上、反日的な表現はダメだ」という理由で、アウトの判定をしてはいけないというのが僕の持論だ。世間では、慰安婦像は反日! という理由で撤去を迫っているようだが、反日かどうかというラインの設定は極めて危険だと思う。

僕のラインは、公金を使って「一方的な」政治的表現をサポートすることは許されないというものだ。政治的かどうかという内容面で一切許されないとするものではない。一方的かどうか、対立側にも表現のチャンスを与えているかどうか、その他の立場の者にもチャンスを与えているかどうかというところでラインを引いている。これは表現のチャンスを平等・公平に与えているかどうかという、まさに「手続き的な視点」でのラインだ。表現の「内容」によってのラインとは異なる。

ゆえに政治的表現であっても、両立場、あらゆる立場にチャンスを平等・公平に与えているなら、公金を使っても問題ないというのが僕の持論だ。

これが「手続き的正義」の考え方だ。

今回の「表現の不自由展・その後」は、「一方的な」政治表現に偏ってしまったことが問題だ。しかし、「手続き的正義」の考え方をしっかり踏まえれば、実は、表現の自由の限界や慰安婦像の問題点などを深く考える非常にいい展示になっていたと思う。ただし、慰安婦像に賛成する者、反対する者、天皇制に賛成する者、反対する者、特攻を揶揄する者、尊崇する者、それら両者から猛批判を浴びることになるだろう。場合によっては命の危険すらある。

しかし、津田さんが今回やろうとしていたことは、そういうことではなかったのか。僕は芸術や表現の分野において、そこまで命を張っての活動はできないが、政治活動においてはそのような覚悟でやってきた。

津田さんがそういう覚悟のないまま、このようなチャレンジをしたというのであれば、そりゃ実行できないのは当然だ。

(略)

(ここまでリード文を除き約3000字、メールマガジン全文は約1万1900字です)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.162(8月6日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【令和時代の天皇制(5)】竹田恒泰さんと議論して確認できたこと/【表現の不自由展(1)】なぜ津田大介さんは展示会「中止」に追い込まれたか?》のダブル特集です。

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