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公金を使う以上「なんでも自由に」とはならない
8月3日、現代アートの大規模な祭典「あいちトリエンナーレ2019」の一環として公開されていた「表現の不自由展・その後」という展示が、地元の河村たかし名古屋市長や現役閣僚を含む各方面からの批判を受け、公開中止に追い込まれた。問題視されたのは、韓国人彫刻家の手による「平和の少女像」と昭和天皇の肖像を傷つけた形の作品。あいちトリエンナーレの芸術監督はジャーナリストの津田大介さんだが、彼は何を誤ったのか。本メルマガ《問題解決の授業》の観点から、どうすればこの展覧会を成功に導くことができたかを考えてみたい。
僕は津田さんとは面識はないが、彼が政治に対しては色々と評論をしていたことは知っている。津田さんは今回の件で、評論と実行がいかに異なるものか、評論はいかに楽で、実行はいかに大変かを認識したと思う。普段、偉そうに評論していても、自分が実行するとなると、とんでもない壁にぶち当たる。言うは易く行うは難し、である。
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今回は、公金を活用するイベントだ。確かに問題の展示に投じられた公金は400万円ほどであったとの報道もあるが、展示はイベント全体の格によって発信力が左右される。ゆえにイベント全体の予算を考慮せざるを得ず、その額は億を超える大金だ。公金を活用する以上細心の注意を払わなければならない。これは政治家を経験すれば痛切に感じることだ。たとえ数百円でもいい加減に使えば、厳しい批判を受ける。
今は、芸術という大義名分を振りかざせば、何とでもなる時代ではない。そのことは政治を厳しく批評していた津田さんだからこそ、分かっていたと思うのだが。
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税金を使う以上、「とにかく自由に使わせろ!」という主張を許すわけにはいかない。そんなふうに主張する人たちは、学問の自由や芸術の自由を振りかざせば、税金を自分たちの思いのまま自由に使えるものだと強く信じている人たちが多い。
そのくせ、政治や行政の税金の使い方にはうるさいことが多い。