バブル崩壊に始まり、数多くの困難に見舞われた平成ニッポン。暗くなりがちな世相を、明るく照らした名経営者たちを、年表とともに今、振り返ろう。

規制を打ち破り、新モデルを創出

平成はバブル景気の最中に幕開けした。株価も上昇し、金融機関の積極的貸し出しにあおられ、ゴルフの会員権相場も上昇するなど企業も国民も投資熱に浮かされた。誰もがこのまま続くと信じて疑わなかった。

AFLO=写真

経済界では平成元(1989)年4月、戦後の経営の神様と慕われた松下幸之助氏が死去。今にして思えばその後の長い景気低迷時代を暗示させる出来事だった。そしてバブルが崩壊し、株価は急落、土地などの資産価値が一気に崩落した。過剰設備、過剰債務、過剰人員という3つの過剰を前にして多くの経営者は茫然自失した。バブル期の粉飾決算の先送りを続け、後に経営者が逮捕されたオリンパス事件を含めて、このときすでに「失われた20年」の種は蒔かれていた。

そんな中、気を吐く経営者もいた。87年にアサヒビールが「スーパードライ」を発売。「ドライ戦争」が勃発した。92年に生え抜き社長として就任した瀬戸雄三氏はビールの鮮度にこだわり、製造・物流体制を改革。「スーパードライ」を名実ともにトップブランドに育て上げ、98年に45年ぶりにビールのシェアを業界首位に押し上げた。

信越化学工業会長の金川千尋氏もその1人だ。90年に社長に就任後、経営改革を断行。もともと在庫嫌い、借金嫌いの性格からバブルとは無縁の金川氏はムダ撲滅を徹底した。低迷する国内素材メーカーの中で買収した米子会社が米国内の市場を拡大し、塩化ビニル、半導体ウエハー、シリコン樹脂のシェアでは世界一を達成。国内のデフレ経済下にあって13期連続の過去最高益を達成した。

稲盛和夫氏

一方、旧来のビジネスにとどまらず新たなビジネスモデルを模索し、飛躍的に発展させた経営者もいた。京セラ名誉会長の稲盛和夫氏もその1人だ。京都発の戦後ベンチャー企業として創業。現場の社員に収益管理を徹底させる「アメーバ経営」で社業を発展させた。さらに通信事業の自由化に際し、第二電電(現KDDI)を設立するなど積極的に新規事業に参入し、次世代通信業の礎を築いた。

報国の志の強い独自の経営哲学を持ち、自ら主宰する「盛和塾」で中小企業の経営者に大きな影響を与えた。その志の典型が10年の日本航空の再建だ。無報酬で会長に就任し、再建初年度には営業利益1800億円超というV字回復を達成。再建後はあっさりと身を引くなど去り際の見事さも称賛された。